「以前は私がカナダから電話をかけると、1時間でも2時間でも話してくれたのに、最近は違います。『お母さん、ドラマ見なきゃ。もう切るね』。こんな具合なんですよ」

 「え? 私がいつそんなことした? それに私も忙しいのよ」

 娘は口をとがらせ、母親は決まり悪そうに笑った。なんだかんだ言いながら友達のように仲が良さそうな母と娘は「スピードスケートの伝説」李相花(イ・サンファ、28)と母親のキム・インスンさん(57)だ。李相花が感動のレースによりスピードスケート女子500メートルで銀メダルを手にした翌日の19日、まだ余韻の中にある2人にインタビューした。

 「ウオーミングアップしようとリンクに入った瞬間、『平昌(PyeongChang)』という文字が見えたんです。その時からなぜか涙が出て…。ほとんど泣きながら滑りました」。ソチ五輪後に引退か現役かの岐路に立っている李相花は、韓国のファンの声援を受けながらぜひ一度試合をしたいと4年間頑張ってきた。「私のスケート人生の中で最も大きな歓声を浴びた日でした。とても緊張したけど、観客席にいる家族の姿を見て力がわいてきました」。この日、観客席には父親イ・ウグンさん(61)、兄イ・サンジュンさん(32)、そして母親のキム・インスンさんがいた。家族全員が試合会場を訪れたのは、今回の五輪が初めてだった。

 李相花は序盤100メートルを10秒20で滑った。金メダルを取った小平奈緒(31)=日本=より0.06秒早かった。キム・インスンさんは「100メートルの記録を見て私たちは興奮しました。息子は『相花!』と叫んで泣いていました」と語った。

 だが、李相花は恥ずかしそうに「100メートルを通過した瞬間は私も『今日はいい。今日は勝つ』と思いました。でも、自分の速度を自分自身がどうにもできませんでした。そのような爆発的なスピードを感じたのは、ほぼ1年半ぶりだったからです」と打ち明けた。

 李相花が最後のコーナーに入る瞬間、左足がやや流れ、バランスが崩れた。一瞬のことだったが、娘の試合を20年以上見守ってきたイ・ウグンさんは「ああ」と嘆いた。「(私には見えなかったが)主人が驚いていました。だから、私は相花がメダルも取れないと思いました」とキム・インスンさんが言うと、「お母さん、私、そんな程度じゃない。私は李相花よ」と娘が言った。

 銀メダルが確定した李相花は泣きながらライバルであり、友人でもある小平と抱擁した。 「体が自然とそっちの方に行きました。1位を目指して激しく争った友に慰めてもらいたかったんだと思います。忘れられない瞬間になりました」。キム・インスンさんは「小平さんは『ご家族の皆さんで食べてください』と宅配便で(韓国でも健康的な食品として人気を呼んでいる)納豆を送ってくれたこともあった。本当に優しい子です」と言った。

 この日のインタビューは「サンキュー・マム・キャンペーン」を実施している平昌五輪P&Gラウンジで行われた。李相花は試合後、500メートルの試合の映像を見ていないという。最後のコーナーのミスを見ると惜しさが込み上げてきそうだからだ。だが、「銀メダルを取ったのではなく、銀メダルが12年待っていて、私をとらえたというように考えてみました。毎回、金メダルを取っていたので、銀メダルにはチャンスがなかったというか(笑)。銀メダルもすごいじゃないですか。伝説として残りたかったんですが、伝説になったでしょ? 私、すごく頑張りました。北京冬季五輪ですか? ふう。あともう4年するんですか?」と笑った。

 李相花が試合を終えて最初にしたのは、7個のアラームをすべて消すことだった。起床・昼寝・練習など一日のスケジュールをきっちりと徹底させてきた李相花が、五輪のプレッシャーから逃れた瞬間だった。

 「あとは残りの五輪を楽しみたいです。ショートトラックのリレーを見に行って、郭潤起(クァク・ユンギ)選手を応援したり、アイスホッケーの試合会場にも行ったりしたい」。趣味はレゴ・ブロックだそうで、「家にはまだ未開封のレゴセットが15セットもあります。それを考えると、また楽しいですね」と笑った。

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