近代の初めごろ欧州で盛んに行われていた「魔女狩り」は、実に理解し難い異様な現象だ。夜、獣に変身した女性がサバト(魔女の集会)に飛んでいって悪魔と肉体関係を持ち、そうして得た恐るべき力で人を殺したり暴風雨を起こしたりする-という罪で数万人が死刑宣告を受けた。昔話にでも出てきそうなとんでもない「容疑」で正式に裁判にかけ、処刑するなどということが、どうして可能だったのか。

 魔女狩りを巡っては「中世に民衆が興奮状態で見境なく暴力を行使した、狂気じみた状態ではなかったか」と、よく推論されている。だがこれは、事実とは全く異なる。魔女狩りは16-17世紀ごろ頂点に達した、近代的な現象だ。当時の欧州は「狂った」状態ではなく、むしろ科学革命が始まって啓蒙(けいもう)主義の気運が芽生え始めた、理性の時代に差し掛かっていた。見境なく人を殺害したわけではなく、教会や地方権力者が中心となって正式に起訴し、厳正な裁判を通して合法的に死刑に処した。宗教家や裁判官は、至高の善を守護するため世を乱す限りなき悪をえぐり出すという、崇高な意思に満ちていた。

 もう一つ、これもよくある誤解だが、魔女狩りでは邪悪な権力機関が共同体内部の罪もない民衆を無差別に攻撃したのであろう、と信じられている。果たしてそうだったのだろうか。われわれは共同体という言葉を使う際、純粋で情け深い場所を考える傾向があるが、決してそうではない。人が暮らす場所には、常に憎悪と対立が内在している。魔女裁判もまた、発端は隣人間の告発だ。犠牲者を起訴し、拷問し、有罪判決を下して処刑したのは権力機関だが、そういうことをさせる動力は民衆層から出てきた。「魔女狩りは隣人が隣人を殺した行為」という衝撃的な研究結果は、この世間の暗い内面を鋭く暴露する見識を示してくれる。

 留意すべき点は、あらゆる場所で同じような暴力的事態が繰り広げられていたわけではなく、一部地域で極めて深刻に起きていた、という事実だ。そうした場所は、「正しい」という意思に満ちた政治・宗教エリートが支配していたという特徴がある。ドイツのハンブルクが代表的なケースだ。この小さな都市では、1617年の1年だけでも102人を火あぶりにして殺したが、さらに魔女委員会という特別機関を作り、1626年から30年にかけて630人を逮捕し、拷問にかけた末、その大部分を火あぶりに処した。こういう時代には、火の粉がどこへ飛ぶか、誰がいつ犠牲になるか、誰にも分からない。最初は貧しく無力な庶民が主に犠牲となったが、ある段階に至ると、誰も安全だと断言はできなくなる。甚だしくは、きのうの裁判官がきょうは魔女、魔術師として追われ、処刑されかねない。支配者の「正しさ」に満ちた行為に異議を唱えるのは、命懸けの危険なことだった。強固な信仰心とドグマにとらわれた支配層が、この上なく熱くなった民衆のエネルギーを利用してさらに追い込んでいこうとするとき、最悪の事態が展開する。神聖かつ清らかな国をつくろうと思ったら、不浄な罪人たち、そしてあえてこれらの肩を持つ不良な背信者たちをきれいさっぱり一掃しなければならないからだ。

 18世紀を過ぎると、魔女狩りは欧州の大部分の国で終息した。誰かを悪魔の手先である魔女として追い、処刑する、文字通りの魔女狩りは消えた。だが似たような現象は、その後も姿を変えて別の形で繰り返し現れた。社会的・政治的対立を、いかなる方式にせよ解消すべき必要があるとき、悪魔化された敵が必要になるからだ。ユダヤ人を集団虐殺したヒトラー体制がその代表例だ。

 現在の韓国社会を巡って、魔女狩りが繰り広げられている場所だと言うなら、もちろんそれは誇張だ。ただし、場合によってはその方向へ突っ走る危険性が濃厚だという点は、ぜひ指摘したい。

 現在の韓国社会は、どう見ても息苦しいことこの上ない。寛容は忘れ去られて久しく、熱せられた憎悪を浴びせる準備は常時できている。過ちを犯した人を懲戒し、処罰するのは当然だが、問題は、その程度がひどいというところにある。「国民感情」や「民衆感情」という名の打ち出の小づちのような基準に一度引っ掛かってしまうと、おしまいだ。身体的に殺しはしないにしても、魂がすっかり打ちのめされた、生ける死人のような状態にしてしまったケースは一度や二度ではない。

 最も憂慮されるのは、政界のこの上ない正義感だ。過去の時代の邪悪さを擁護する考えもなく、過ちを犯した人の処罰を非難する意図もないが、ひょっとして独り善がり「正しさ」に酔ってバランスを失しているのではないかと心配だ。別の時代には別の正しさが新たな魔女をつくり出す-という歴史が繰り返されてはならない。

朱京哲(チュ・ギョンチョル)ソウル大学西洋史学科教授

ホーム TOP