▲李河遠(イ・ハウォン)東京特派員

 「第二次世界大戦後、知性的で思想的な蓄積をしてきた日本の良心勢力は確かに存在したが、もしかして、日本ではそうした方々が声を上げられない雰囲気なのか」

 昨年10月、駐日韓国大使館の国政監査場。与党「共に民主党」金富謙(キム・ブギョム)議員の質問が国政監査場で耳目を集めた。なぜ以前とは違って日本の進歩系勢力が韓国を応援する姿が見えないのかという嘆きから出た言葉だった。

 南官杓(ナム・グァンピョ)大使は当時、赴任して5カ月を越えたばかりだった。大使が半年にも満たない間にひしひしと感じた日本の状況が国会の速記録に残っている。「日本にも良心的な考えをお持ちの方々が少なからずいる。時々そうした方々の声がメディアを通じて発表されることもあるし、団体的意思表示もあるが、割合的には非常に疎外されている感があり、かなり残念だ」。南大使は公務員になって30年余りだが「慎重すぎる」と評されている。その外交官が「非常に」「かなり」という修飾語を使って親韓勢力の状況を描写するのは異例だった。

 与党ベテラン議員と青瓦台国家安保室第2次長出身の南大使が東京の真ん中で交わした重い会話。このやり取りは2017年5月の文在寅(ムン・ジェイン)政権発足以降、日本国内の親韓派の人々が直面している状況をよく表しているエピソードだ。現政権がこの3年間で慰安婦問題合意破棄・徴用問題賠償推進・韓日請求権協定無視で韓日関係を壊してきた結果は惨たんたるものだ。日本国内の嫌韓右翼の活路を大きく切り開いた一方で、親韓派は南大使の表現通り「非常に」疎外されてしまった。

 1965年の国交正常化以降、韓日歴史問題が韓国の市民団体だけで進展されたことはなかった。東海(日本名:日本海)の向こうで手を取り合ってきた彼らが日本の政治の中心地・永田町を動かしたから前に進めることができたのだ。文在寅(ムン・ジェイン)政権の母体となった1980年代の韓国の民主化運動にも貢献した。サハリン残留韓国人が帰国できたのも大沼保昭東京大学名誉教授らの貢献が大きかった。そうした人々は現政権になってから日本社会で疎外されているのはもちろん、厳しい目で見られる羽目になってしまった。

 韓日歴史問題を語る時に忘れてはならないのが1998年の金大中(キム・デジュン)-小渕宣言(日本名:日韓共同宣言)だ。これに深くかかわっていた日本の関係者は現在の状況をこう説明する。「日本社会はこれまで植民地支配という原罪のため韓国の無理な要求も受け入れなければならないという雰囲気があった。だが、文在寅政権になると変わった。既存の日韓合意をすべてひっくり返そうとするので、右翼の声が強くなった。今では私のような人たちが韓国と親しくすべきだという声を上げるのは難しくなった」

 文在寅政府の後押しで、これまで「無限権力」として疾走してきた慰安婦被害者支援市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)とその前理事長・尹美香氏に失望したという親しい人々も少なくない。そのうちの1人は、尹美香疑惑が取りざたされた後、「文在寅政権になってまるで官職を得たかのように振る舞う人たちの偽善をよく目にしてきたので、あまり驚いていない」と冷笑するような反応を見せた。

 文在寅大統領に対する日本国内の親韓勢力の失望感は表面化しつつある。韓日関係を重視する毎日新聞・朝日新聞が文在寅大統領に批判的なのは、今ではニュースにもならないほどだ。慰安婦問題解決などのために努力してきた功労で「萬海平和大賞」を受賞した和田春樹東京大学名誉教授も憤っている。和田氏は「文在寅大統領は被害者中心主義を主張しながら、慰安婦被害者の4分の3が日本政府からの慰労金を受け取った事実を認めないのは矛盾だ」と批判した。

 与党と親文在寅勢力が頻繁に利用する「親日派」は、かなり前に有効期限が切れた概念だ。それでも「親日派は依然として存在している」という彼らの主張を認めるなら、この3年間で日本社会の親韓勢力を委縮させ、嫌韓勢力の力を拡大させてきた文在寅大統領とその周辺勢力を親日派と呼んでも差し支えはなさそうだ。

東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員

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