裁判
513人犠牲の兄弟福祉院事件、ついに「人権侵害」の断罪できず
1980年代に起きた代表的な人権侵害事件である「釜山兄弟福祉院事件」に関連し、故・朴イングン(パク・イングン)元院長の特殊監禁容疑に対する無罪判決の取り消しを求めた非常上告が11日、大法院で棄却された。大法院2部は兄弟福祉院が「人間の尊厳」を侵害したことは認定しながらも、法理的に原判決を破棄することはできないと判断した。
大検察庁による非常上告は被害者に対する人権侵害について、朴元院長を司法の場で断罪する最後の機会だったが、大法院の上告棄却でその機会は失われた。非常上告は確定した判決の裁判に法令違反があった場合、誤りを正すため、検察総長が大法院に直接上告する制度だ。法令違反が認められ、大法院が原判決を破棄したとしても、確定した判決は変更されないが、大法院の判断に沿って、被害者の損害賠償訴訟、名誉回復に影響を与え得るものだった。しかし、大法院は「法理」を理由に上告を棄却し、朴元院長に対する司法判断は終了した。
「韓国版アウシュビッツ」と呼ばれた釜山兄弟福祉院事件は「浮浪者を教え導く」という名分でホームレス、青少年、障害者ら社会的弱者を含む罪のない人たちを不法監禁し、強制労働、集団による殴打などで人権を侵害した事件だ。政府が浮浪者を任意で取り締まり、本人の同意や収用期限なしで収用施設に留置できるとした内務部訓令410号(1987年廃止)が根拠だった。
検察は87年、朴元院長をはじめ、兄弟福祉院の職員6人を特殊監禁、横領、建築法違反、暴行致死などの罪で起訴した。朴元院長には特殊監禁、横領の罪が適用されたが、結局は国庫補助金などの横領で懲役2年6月の有罪判決を受けただけで、人権侵害に関連する特殊監禁容疑では無罪を言い渡された。朴元院長以外では暴行致死罪などが適用されたイ・チュンリョル小隊長(懲役1年6月)、ソン・テウン警備隊長(懲役8月)だけが実刑判決を受けた。残りは執行猶予付き有罪判決または無罪判決を受けた。朴元院長は2年余り収監された後に釈放され、引き続き福祉関連事業を営んだ。兄弟福祉院の敷地は売却され、マンションなどが建った。福祉院は断罪されるどころか、結果的に大きな利益を得た。朴元院長は2016年に87歳で死去した。
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文在寅(ムン・ジェイン)政権発足以降、法務部検察過去史委員会が18年4月、浮浪者収容が不法監禁に当たるとして、検察に事件の再調査を勧告。当時の文武一(ムン・ムイル)検察総長が非常上告を決めた。しかし、大法院は今回の決定で、「事件は刑事訴訟法が非常上告の事由として定める『その事件の審判が法令に違反した場合』には該当しない」と棄却理由を説明した。検察総長が非常上告の理由として指摘したのは内務部訓令410号の違憲性だったが、判決に適用されたのは「法令による行為は処罰しない」と定めた刑法20条だったため、法令違反ではないという趣旨だ。
ただ、大法院は事件について、「単純に身体の自由を侵害したレベルではなく、人間の尊厳性を侵害した事件だ」と判断し、「被害者や遺族に対する被害回復は当然保障されるべき権利を取り戻させるものであり、今後さらに具体化された被害回復措置が取られることを望む」とし、損害賠償と名誉回復の道を残した。
大法院による棄却決定について、被害者と当時捜査に当たった検事は憤りを見せた。被害者とその家族30人余りは棄却決定後、大法院前で涙を流した。被害者Kさんは「大法院の判決はあまりに悔しく憤りを感じる。暴力と監禁を受けたことに加え、41年間も薬を飲みながら生活しているのに、政府は何の措置も講じない」と話した。
1987年に事件の主任検事を務めた金竜元(キム・ヨンウォン)弁護士は本紙の電話取材に対し、「大法院の集団無欠主義のせいで、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の法律的裏付け役だった大法官が無罪を宣告した。大法院は今回もそれを維持した」と述べた。
兄弟福祉院事件は現在、昨年5月に近現代史における主要人権侵害事件を再調査する過去史法改正案が成立したことを受け、真実と和解のための過去史整理委員会2期が再調査を行っている。しかし、補償・賠償条項は財政負担を理由に盛り込まれなかった。釜山市が別途、東区草梁洞に「兄弟福祉院事件被害者総合支援センター」を設置し、被害の届け出受理、就職支援などの業務を行っている。