コラム
【コラム】河野父子の生体肝移植翌日に届けられた金大中大統領直筆の手紙
2002年4月のことだ。 韓国で「慰安婦談話」で広く知られている日本の河野洋平元官房長官が肝移植手術を受けた。彼の息子である河野太郎氏(後の外相)が肝臓の一部を提供して行われた。記者会見で事実が公表された。
その翌日の午前9時。 河野氏の秘書官が議員会館に出勤すると、在日韓国大使館の職員が待っていた。「大統領が河野先生に送ってくださったものです」と言い、金大中(キム・デジュン)元大統領の直筆による慰労の手紙を渡された。前日、河野氏の手術のニュースを聞いた金大中元大統領が手紙を書き、飛行機の最終便で送ったものだった。河野氏は自身の回顧録「日本外交への直言」に金大中元大統領に感動した事実を記した。金大中元大統領を「畏敬する政治家」と呼んだ。
金大中元大統領の日本に対する配慮は、親韓派だけではなかった。2000年4月、「韓日未来パートナーシップ宣言」の主役である小渕恵三首相が脳梗塞で倒れた。自民党幹事長だった森喜朗氏が突然首相の座に就いた。彼は韓国に好意的な政治家ではなかった。「日本は天皇を中心とする神の国」という発言で論議を呼んだ右翼傾向の人物だった。
それでも金大中元大統領は意に介さなかった。初の南北首脳会談を目前に控えた2000年5月、森氏を青瓦台に招待した。「韓国と北朝鮮の指導者たちが会えるのは森首相のおかげだ」と述べ、低姿勢で森氏を高く持ち上げた。
小渕元首相の葬儀は南北首脳会談1週間前の6月8日に決まった。金大中元大統領は言うまでもなく東京行きの飛行機に乗った。葬儀に参列し、森氏と再会しつつ、日本が疎外感を持たないよう最大限の努力をした。
すると、今度は森氏が韓国を助けた。南北共同宣言直後の同年7月、沖縄で主要8カ国(G8)会合が開かれた。森氏が開催国の議長として「G8韓半島特別声明」の採択に力を尽くした。韓国外交部が作成した草案に基づき、記念碑的な声明が採択された。「南北首脳会談を熱烈に歓迎し、同会談がもたらした前向きな進展を全面的に支持する」 という内容だった。その後、02年の平壌での日朝首脳会談、03年の6カ国協議開始につながり、しばらく「北東アジアの春」が続いた。
振り返ると、文在寅前政権で2018-19年の韓半島情勢は初の南北首脳会談が開かれた2000年当時よりも条件が良かった。トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は3回も会った。しかし、「2000年の再来」とはならなかった。
さまざまな理由があるだろうが、今後北朝鮮に植民地支配の賠償となる経済的支援を行うことになる日本の排除、という視点からの分析にも注目する必要がある。ボルトン元米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が指摘したように、安倍晋三首相(当時)を友軍化できなかったことが破局的な結果に影響を及ぼしたといえる。
姜尚中(カン・サンジュン)東大名誉教授は2020年、「朝鮮半島と日本の未来」と題する本を出版した。姜氏は同書で、「文大統領とその政権に欠けているのは、南北和解の進展を図る際、韓日間の意思疎通を深める複眼的な外交戦略だ」と批判した。文在寅大統領(当時)が日本に対しては「白紙状態」だとし、「(南北関係改善のためにも)日本との信頼を今より厚くしなければならない」と残念がった。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は今月末、スペインで開かれる北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に出席し、岸田文夫首相に初めて会うとみられる。大韓民国の外交で無視できない日本の存在を認識し、相手を感動させた金大中元大統領の戦略を綿密に研究し、両国関係改善に向けた岸田首相の積極的な呼応を引き出すことを望む。
李河遠(イ・ハウォン)国際部長