▲写真=NEWSIS

 吠える軍犬が韓国の金寛鎮(キム・グァンジン) 元国防長官の仮面をかぶった人形を倒してかみつく。北朝鮮軍が金寛鎮長官の顔の下に「金寛鎮の野郎」と書いた標的に向かって射撃訓練をする。そして「金寛鎮のような戦争対決狂信者のために南朝鮮人民が大きな災難に遭うことになる」というインタビューが続く--。北朝鮮は2014年4月、そんな放送を流した。

 国防長官室に送られた脅迫状には、「金寛鎮は汚い口をむやみに動かしていけない。民族の名で処断する」と書かれていた。北朝鮮の祖国平和統一委員会報道官が「金寛鎮はおかしな妄動をやめろ」という声明を発表した。北朝鮮が大統領でもない特定人物をこれほど執拗(しつよう)に攻撃した例はなかった。 金元長官が目の敵だったことを示している。

 李明博(イ・ミョンバク)元大統領が金寛鎮氏の国防長官内定を発表したのは2010年11月26日だった。北朝鮮による延坪島砲撃から3日後のことだった。金長官は北朝鮮が挑発の口実にしていた西海砲撃訓練を再び実施すると表明した。北朝鮮が再び挑発に出ると脅し、日に日に緊張が高まった。中国とロシアはもちろん、在韓米軍司令官まで自制を求めた。金長官は退かなかった。訓練開始に合わせ、戦闘機にミサイルを装着して出撃するよう命じた。ミサイルを発射せずに帰還すれば、着陸時に爆発の危険があると部下が制止したが押し切った。北朝鮮にもその事実をわざと流した。訓練前日の12月19日、金正日(キム・ジョンイル)総書記が北朝鮮軍指揮部に「軽挙妄動するな」と指示した事実を情報当局がつかんだ。金長官の勢いにおびえて萎縮したのだ。金国防長官の在任中、北朝鮮による追加挑発はなかった。米国防総省はこれを「金寛鎮効果」と呼んだ。金長官は朴槿恵(パク・クンヘ)政権でも留任し、国家安保室長まで務めた。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足すると、「金寛鎮狩り」が始まった。終末高高度防衛ミサイル(THAAD)の追加搬入を報告しなかったという青瓦台の調査がそのシグナルだった。THAADが追加で配備されたことはメディア報道で天下が知る事実なのに、大した隠ぺいでもあるかのように大騒ぎした。軍によるインターネット上での政治的コメント指示、セウォル号事故の隠ぺい、セウォル号事故遺族の査察、戒厳令文書、次期戦闘機機種決定、済州海軍基地の政治的中立違反など金寛鎮氏を狙った容疑が次々と登場した。この疑いが駄目ならあの容疑、それも駄目ならまた別の容疑を探し出した。共に捜査を受けていた李載寿(イ・ジェス)元機務司令官は「金寛鎮について言えというが、ないものをどうやってつくれというのか。切腹でもするか」と訴え、そして数日後、自ら命を絶った。

 実質的な捜査指揮部門は文在寅政権の青瓦台だった。青瓦台行政官は軍の機密資料を令状なしで閲覧した後、2014年に嫌疑なしで処理された軍によるコメント工作疑惑を再捜査させた。インド歴訪中だった大統領が機務司令部戒厳文書の捜査チームを別途結成するよう特別指示した。

 無理に容疑をつくり出した結果、容疑7件のうち5件が捜査段階で嫌疑なしとされた。セウォル号事故に関する事実隠ぺいも一審、二審、大法院でいずれも無罪となった。軍コメント工作事件は拘束、釈放、令状再請求、棄却などを経て、二審で懲役2年4カ月の判決が下された。2011年から13年にかけ、サイバー司令部のコメント78万件のうち約8800件が政治的内容であり、金長官が毎朝提出される報告書10件余りのうち、コメント報告書を読んだという印を残したというのが有罪の根拠だった。たったA4用紙1枚に要約された報告書を読んだとして、1日平均1000件前後のコメント内容をどうやって知ることができたのか納得できない。大法院が一部無罪の趣旨で判断した差し戻し審がまもなく再開される予定だ。金元長官が2018年以降出席した裁判はコメント事件で28回、セウォル号事件で16回の計44回だ。

 金元長官は政治派閥に属する人物ではない。10年12月、長官人事聴聞会を見守った民主党議員からは「長官をよく選んだ」「確固たる姿勢が心強い」という好評が聞かれた。李明博、 朴槿恵政権下で野党を刺激する政治的言動をしたこともない。それでも金元長官に対する令状が棄却された際、当時の国防長官が「幸いだ」と言うと、民主党議員は蜂の群れのように長官を責めた。どうしてそこまで憎らしく見えたのだろうか。

 金元長官が目立った点があるとすれば、北朝鮮の挑発に原則的な対応を取っただけだ。任期5年間、金正恩(キム・ジョンウン)ご機嫌取りに全力を挙げた文政権にとっては、それが大逆罪だったようだ。大韓民国国軍を指揮する司令塔が主敵の首魁を震え上がらせた「罪科」の代償を払わなければならなかった。

金昌均(キム・チャンギュン)論説主幹

ホーム TOP