▲玄貞恩(ヒョン・ジョンウン)現代グループ会長/NEWSIS

 金大中(キム・デジュン)大統領は、退任を控えていた2003年1月、林東源(イム・ドンウォン)特補を平壌へ派遣した。北の核拡散防止条約(NPT)脱退宣言の後、米朝関係悪化を防ごうとする狙いからだった。金正日(キム・ジョンイル)総書記に届ける親書も持たせた。

 金大中大統領は、2000年の南北首脳会談後から親交を重ねてきた金正日総書記が自分の最後の特使と会うだろうと考えたが、その判断は誤っていた。林特補が4日間平壌に滞在したにもかかわらず、金正日は「地方現地指導」を口実にして会わなかった。

 金大中は大いに憤怒した。金正日に対する、裏切られたという感情は想像を超越していた。金大中はこのときの状況を自叙伝に書き残した。「私は大きく失望した。任期の末、私に代わって訪ねていった特使と会ってくれもしないことに腹が立った」。1356ページ、2巻から成る金大中自叙伝の中で、金正日に向けて失望と憤怒を表現したのは唯一この部分だけだ。当時の状況をよく知るある人物は「金大中の任期が終わりを迎えて利用価値がなくなったので、金正日はすぐに関係を断った」と語った。

 2018年4月、板門店の「平和の家」で開かれた首脳会談で、金正日の息子・金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は、自分を歓待してくれた文在寅(ムン・ジェイン)大統領に感謝を表した。「一つの血筋と歴史、文化と言語を持つ北南は本来のように一つになって終わりなく繁栄を享受するだろう」と述べた。しかし、そのときだけだった。翌年、米朝ハノイ会談が決裂した。するとその責任を韓国側に押し付け、口にし難い低俗な中傷を並べ立てた。文大統領に向けて「非常に笑わせる人物」「ゆでた牛の頭も仰天大笑するところ」と嫌味を言った。

 北朝鮮の体制維持に役立たないのであれば一晩で捨てる金氏一家の本質は、故・鄭夢憲(チョン・モンホン)現代峨山会長20周忌を前に再び確認されている。玄貞恩(ヒョン・ジョンウン)現代グループ会長は、夫の故・鄭会長の20周忌追悼式を8月4日に金剛山で開こうとしたが、拒否された。訪朝要請をやろうとしているとの報道が出るや、北朝鮮外務省が出てきて「南朝鮮のいかなる人物の入国も許可できない」と駄目押しした。これまで南北関係に関与してきた亜太平和委(朝鮮アジア太平洋平和委員会)、祖平統(祖国平和統一委員会)ではなく外務省を動員して「検討してみるつもりもない」と言った点も目を引く。

 玄会長は、2018年には故・鄭夢憲会長15周忌の際に訪朝し、金剛山で追悼式を行って戻ってきた。当時、北の関係者を通して金正恩の「(鄭会長)追慕行事を無事に進めて、積極協調せよ」という伝言ももらった。

 だが、核・ミサイル先端化に成功した金正恩が対決姿勢に転換する中で、北朝鮮と特殊関係にあった現代グループの玄会長も単なる「とある人物」に格下げされた。現代グループと結んだ関係に終わりを告げた、ともいえる。

 振り返ってみると北朝鮮は1998年、当時の鄭周永(チョン・ジュヨン)会長による「1001頭の牛の群れの訪朝」を手始めに、現代グループから多大な支援を受けた。北朝鮮は90年代後半、ファン・ジャンヨプ元労働党書記が「数百万人が餓死した」と証言した大飢饉とその後遺症に苦しんでいた。このとき現代は4億5000万ドル(現在のレートで約640億円。以下同じ)を国家情報院(韓国の情報機関)の口座を通して北へ秘密裏に送金し、困窮していた金氏一家を生き永らえさせた。鄭周永会長が設立した現代峨山は、対北朝鮮投資の名目で少なくとも15億ドル(約2100億円)を使った。最近の為替レートに換算するとおよそ2兆ウォンになる巨額のカネだ。

 現代峨山は北の金剛山観光客射殺事件、哨戒艦「天安」爆沈事件、延坪島砲撃事件などで対北事業が止まり、辛うじて命脈のみ保っているが、北朝鮮は人道主義レベルの追悼式も許さなかった。現代グループが25年にわたって北朝鮮に利用された末「兔死狗烹(としくほう、ウサギを捕らえて殺したら、狩りに使った犬は用済みで、煮て食べられる)」されたのは、金正恩体制の本質を示す生々しい事例として残るだろう。

 現代グループのように、金氏一家から超大型詐欺に遭う企業が再び出ることのないようにするのが、「北朝鮮支援部」と批判される統一部(省に相当)の生まれ変わるためにやるべき最初の課題なのかもしれない。

李河遠(イ・ハウォン)論説委員

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