▲9月2日、東京都墨田区にある荒川の木根川橋の下で、日本の市民団体「百年」に所属する若者たちが、関東大震災当時朝鮮人虐殺を目撃した日本人らの証言を朗読している。/写真=成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長

 9月2日午後2時30分、東京の町外れに当たる墨田区。荒川に架かる木根川橋の下の草地に用意されたステージに、20代・30代の日本の若者16人が立った。マイクを前に置き、関東大震災当時の朝鮮人虐殺を目撃した日本人らの証言を朗読した。「両親と子どもが一緒に並んで座っていたが、刀で刺されて死んだ。見るに忍びなかった」(埼玉県の元巡査、アライ・ケンジロウ)のような目撃談を読み上げる若者たちの声は、時には震えることもあった。「女を殺した」(東京都江東区の亀戸警察署で働いていた羅丸山〈ナ・ファンサン〉の証言)という証言の朗読では、およそ600人の参加者の間から嘆息が漏れた。

 100年前の1923年9月、数多くの朝鮮人が虐殺された荒川の堤防で「関東大震災100年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式」が開かれた。関東一帯を覆したマグニチュード7.9(推定)の大地震で10万5000人が死亡・行方不明になるという、日本史上最悪の災害だった。当時、「朝鮮人が暴動を起こした」という流言飛語を信じた日本人が数多くの朝鮮人を虐殺した。

 虐殺現場の一つである荒川の堤防で、日本の市民団体「ほうせんか」が9月2日に追悼式を開いた。「ほうせんか」は、1982年から毎年9月に追悼式を開いてきた。だが今年の行事は、70代・80代となった「ほうせんか」の昔のメンバーではなく、20代・30代の若者たちが作った「百年」という新しい組織が準備した。「ほうせんか」が、朝鮮人虐殺を追悼する若者を一人ずつ訪ね、「100年追悼行事」の準備を頼んだのだ。この追悼式は日本・韓国・北朝鮮などどこの政府とも関係のない、純粋に日本の市民団体の行事だった。青年らの集まりである「百年」は、「ひゃくねん」とは読まず、韓国式に「ペンニョン」と読む。

 「死んだ人は語ることができません。私たちは、殺害されたあなたの名前すら知りません。100年前にここにいたあなたは誰ですか。来年もここであなたと会いたいです」。朗読会の司会者は「今、私たちはここにいて、あなたも確実にこの場所にいた」と語った。「百年」側は、当時の犠牲者はほとんど名前・本籍を知ることができないものの5人が記録に残っているとして、京畿道出身の朴庚得(パク・キョンドゥク)さん、全羅南道出身の金在根(キム・ジェグン)さん、いずれも済州島出身の趙妙城(チョ・ミョソン)さん、趙正洙(チョ・ジョンス)さん、趙正夏(チョ・ジョンハ)さんという5人の身元を明らかにした。「百年」メンバーのワタナベ・シュウさんは「100年前の過去を現在につなぐための活動をしようと思う」、アサノ・モエさんは「殺す側に立つのではなく、差別に立ち向かう(日本)社会をつくりたい」と語った。また別のメンバーは「(第2次大戦当時の)原子爆弾の被害は『きのこ雲』のようなイメージがあるが、(朝鮮人)虐殺は学校で習った記憶すらない」と語った。

 この日の追悼式には、慶尚北道出身の犠牲者ナム・ソンギュさんの孫、クォン・ジェイクさん(66)と慶尚南道出身の犠牲者チョ・グンソクさんの遺族チョ・グァンファンさん(62)が出席した。クォンさんは「祖父が関東大震災で犠牲になった事実は、日本政府でもなく韓国政府でもなく、私が自分で、朝鮮総督府の管理下で作られた文書で見つけた」とし「大正12年9月5日午後9時、群馬県多野郡藤岡警察署で死亡と記録されていた」と語った。また、別の遺族のチョさんは「100周年で終わりではない。引き続き関心を持ってほしい」と述べた。

 追悼式では、20代・30代の若者の姿が多数見られた。ヤマモト・ユウさん(34)は「犠牲者は自分と同年代」とし「将来、同様の過ちを犯さないためには、若い私たちが記憶しなければならない。これから知人にも知らせたい」と語った。ヤナガワ・トモキさん(38)は「加害に加担した日本の責任について知らぬふりはできないという思いで追悼式に来た」とし「関東大震災の朝鮮人虐殺は100年前のことではなく、現在の社会にも通じる事件で、今きちんと対応しないと絶対に良い未来につながらない」と語った。

 当初、主催側では120人ほどの参加を予想していた。実際にはその5倍も多い日本人や韓国人が集まった。残酷な証言の朗読が終わった木根川橋の下は、人でいっぱいだった。すぐに、亡者の送別で行う、韓国特有の祝祭の舞台が開かれた。およそ20人がケンガリ(鉦〈かね〉)とチャング(杖鼓〈じょうこ〉)を打つと、チョゴリを着た在日韓国人が舞を披露した。およそ600人の参加者も一緒になった。追悼式が開かれた荒川の草地から徒歩で3分ほどの住宅街にある「朝鮮人虐殺追悼碑」では、同日午後、追悼の歩みが途切れることはなかった。「悼」と書かれた石碑の前には多くの花と共にチャミスル、チョウンデイ、チョウムチョロム、アンドンソジュといった韓国焼酎がたくさん供えられていた。

成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長

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