▲防衛事業庁が6月28日、韓国製の超音速戦闘機「KF-21」(ボラメ)の最終試作機である6号機が慶尚南道泗川の第3訓練飛行団から午後3時49分に離陸。33分間の飛行に成功したと発表した。/防衛事業庁

 「13年間にわたって検討しました。意思決定が先送りされるのには慣れていますが、それでももう少し早く始めることができていたらと思います」

 先日出会った韓国国内の防衛産業界関係者の言葉が耳元から離れなかった。同関係者が話したのは「KF-21」事業で、韓国空軍の戦闘機開発プロジェクトだ。2001年3月、韓国政府は初めて国産戦闘機の開発を明らかにし、翌02年11月に韓国型戦闘機(現KF-21)の開発が国防計画に盛り込まれた。

 しかし、その後13年にわたって論争を繰り返し、戦闘機の開発経験がなかった韓国の専門家たちは事業の妥当性を巡る検討を7回も行った。そして今、その懸念の全てが杞憂(きゆう)であったことを確認している。約2500人のエンジニアと約700に上る産学研機関が航空機開発の歴史を新たに刻んでいる。来年から量産に入る「KF-21」事業は、生産誘発効果が24兆ウォン(約2兆7000億円)、技術波及効果が49兆ウォン(約5兆4000億円)、1次、2次下請けなどの雇用だけで1万人(5年間)を超える。

 「T-50」の高等訓練機事業も、世界市場で注目されるまでに数多くの難題をかいくぐってきた。開発初期の専門家たちは、韓国の技術水準を嘲弄(ちょうろう)した。今や「T-50」系の航空機は、K-防衛産業のメインとして米海軍の高等戦術入門機、および空軍戦術訓練機事業にまで参入するほどだ。同事業は約500機、50兆ウォン(約5兆5000億円)規模で進められており、波及効果は340兆ウォン(約38兆円)に上る。

 よく韓国産業の奇跡について語る際、半導体、携帯電話、製鉄所、造船所が挙げられるが、防衛産業もまんざらではない。韓国戦争の際、小銃一丁も作れなかった国が防衛産業の累積輸出額で100兆ウォン(約11兆円)の突破を目前に控えている。奇跡とは、こうしたことを言うのだろう。

 ここで55年ほど前に話を戻そう。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領時代、歴代最長となる9年3カ月にわたって大統領秘書室長を務めた金正廉(キム・ジョンヨム)氏の回顧録の135ページには、次のような内容が記載されている。「世界銀行総裁だったユージン・ブラック氏はIMF(国際通貨基金)年次総会の演説で『発展途上国には三つの神話(むなしい夢)がある。一つ目は高速道路の建設、二つ目は総合製鉄所の建設、三つ目は国家元首の記念碑建設だ』と述べた」

 その頃、インドやトルコ、メキシコなどが先をこぞって製鉄所を建てようとして全て失敗に終わっていた。そんな中、韓国も製鉄所を建てるために金を借りに行ったのだ。世界的経済碩学でもあったユージン・ブラック氏の見通しを打ち破ったのは「朴正熙-鄭周永(チョン・ジュヨン)」「朴正熙-朴泰俊(パク・テジュン)」コンビが主役として活躍した「地面にヘディングの奇跡」だった。「地面にヘディング」と言えば、開発時代の強引な「押し付け」程度に考える人も多いが、必ずしもそうではない。何事も「地面にヘディング」式に押し付けるのは記者も反対だ。しかし、歴史に道を刻むということはほとんど不可能に近いものだった。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックをそれでも早期に抑え込んだ「mRNAワクチン」を見てみよう。当時、世界的な医学者、保健学者の語録には「新型コロナウイルス感染症に対するワクチン開発は短期間では不可能」といった断言にあふれている。世の中を変えたものの背後には、こうした果敢で迅速な挑戦が見え隠れしているのだ。

 少子高齢化を子孫に譲り渡す韓国は、未来世代に重荷を負わせて現場を後にするという悲しい運命を抱いている。そんなわれわれにできる最小限の責務とは一体何だろうか。その出発点は55年前のように「今は不可能に見えること」だと感じる。新しい挑戦の前に伴う戸惑いが、どんな副作用をもたらすかは今さら言うまでもない。迅速な決定と果敢な規制撤廃で再武装すれば、今後も「地面にヘディングの奇跡2.0」が幾つか続くだろう。最近話題になっている宇宙航空庁の設立も「宇宙経済の育成」という新たな概念への挑戦だ。しかし、宇宙航空庁の設立は再び先送りされようとしている。

イ・インヨル産業部長

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