▲23年8月16日、国会の党代表室で李在明代表から任命状を渡される姜位原氏(左の写真)とチョン・イチャン氏。(写真=フェイスブックより)

 1997年5月は、韓総連(韓国大学総学生会連合)主思派運動が没落する分岐点だった。10日ほどの間に、韓総連の暴力により民間人2人が相次いで死亡した。学生運動は、公権力のような外部の衝撃ではなく、自らのイデオロギーと暴力という要因で内破(implosion)に至った。97年5月26日、全南大学で民間人を分派主義者と勘違いして追い詰め、殴り殺した「イ・ジョングォン事件」が起きた、司法処理された18人の中には、韓総連傘下の南総連(光州・全南地域総学生会連合)議長だったチョン・イチャンも含まれていた。彼は実刑を言い渡されたが、金大中(キム・デジュン)政権で赦免を受けて復権した。今では進歩(革新)系最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表の側近だ。当時の事件関係者の中には、服役後に強盗、性暴力、殺人まで犯した人物もいる。

 「イ・ジョングォン事件」が起きたものの、韓総連は第5期発足式を予定通り準備した。数万人がたいまつを持ち、20代の若者を議長に、指導者として祭り上げる奇怪な行事だ。今の北朝鮮を見れば、似たような部分が多い。発足式を準備していた6月3日、漢陽大学で旋盤工が韓総連幹部に棒で殴られ、水拷問を受けて死亡した。この「イ・ソク事件」で、計22人が立件された。罪のない市民2人が相次いで死んだのに、韓総連はしばらくしてから姜位原(カン・ウィウォン)全南大学総学生会長を韓総連第5期議長として「擁立」した。姜位原は、事件に直接加担はしなかったが、国家保安法違反で1カ月後に身柄を拘束された。1年後、大法院(最高裁に相当)は韓総連を「利敵団体」と認め、姜位原に懲役5年を言い渡した。彼もまた金大中政権において赦免された。

 被害者の遺族がいる事件当事者ならば、政治の領域に入ってきてはならない。自分たちの先輩である全大協(全国大学生代表者協議会)出身の政治家らが30代でバッジを付け、20年以上も君臨している様子を見ても、我慢すべきだった。しかし彼らは忘却の力を信じ、とうとう政治の舞台に上がってきた。チョン・イチャンは2021年に李在明・京畿道知事(当時)によって京畿道水原ワールドカップ管理財団事務総長に任命されたが、過去の履歴が発覚したことから辞退した。これに先立ち、姜位原は2018年の地方選挙に出馬しようとしたが、2003年のセクハラ事件が発覚し、出馬を諦めた。彼は「被害者の傷の回復のため努めたい」と言っていたが、1年後、京畿道農水産振興委員長になった。李在明という「宿主」を得たようだった。李在明代表は今年8月にチョン・イチャン、姜位原に特補の任命状まで与えた。特補の履歴は、来年の総選挙で「李在明の側近」であることを証明する印籠のようなものだ。彼らは公認すなわち当選となる光州・全南の選挙区で総選挙の準備に入った。

 このままだと、韓総連の主役らが次期韓国国会に入ってくることになる。イデオロギーと暴力が染み付いた時代を主導した面々を再び見るというのは、並みの苦痛ではない。姜位原は李代表のハンガーストライキが始まると「独立軍の心情で国民抗争に乗り出す」「無能暴力政権尹錫悦(ユン・ソンニョル)は退陣せよ」と主張した。韓総連議長時代に金泳三(キム・ヨンサム)政権退陣と民衆抗争を叫んでいた彼の姿そのままだ。チョン・イチャンの履歴が問題になると、彼の母校の「民主同門会」は「時代的悲劇を政略的攻撃に利用するな」という声明を出した。民間人致死事件を「公安の弾圧と民主化運動の対決が招いた時代的痛み」だとした。学生らの暴力はあったが国家の暴力がその原因だという趣旨の「柳時敏(ユ・シミン)控訴理由書」の詭弁(きべん)を、40年後にまた聞くことになるとは思わなかった。

 韓総連が李代表を宿主として復活を狙っている。韓総連という汚名に関して「歴史ロンダリング」も試みるだろう。それにもかかわらず李代表は、なぜ韓総連の中心人物を城南市長・京畿道知事時代から重用し、今もその後ろ盾になってやっているのか、きちんと説明したことがない。

鄭佑相(チョン・ウサン)政治部長

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