高嶋航著、チャン・ウォンチョル、イ・ファジン訳『スポーツからみる東アジア史』(AK刊、452ページ、1万9800ウォン〈約2180円〉)

ビル・ヘイズ著、キム・ヒジョン、チョン・スンヨン訳『スウェット』(RHK刊、380ページ、2万2000ウォン〈約2400円〉)

 世界のアスリートがオリンピックに集結した1952年の夏、フィンランドのヘルシンキ。韓国選手団長の李相佰(イ・サンベク)=1904-66=は、第2回マニラ・アジア競技大会組織委側に韓国の参加意思を伝えた。この過程で、韓国が不参加だった前年の第1回大会に北朝鮮がオブザーバーを送り、総会に出席したことを知った。当惑した彼は、ヘルシンキに来ていた北朝鮮関係者には分からないようにアジア大会準備会議を開いてほしいと要請し、韓国はついにアジア競技連盟(AGF)へ加入した。国際スポーツの舞台に「コリア代表」として立つための南北の闘争は、6・25戦争並みに熾烈(しれつ)だった。

 韓国は1954年のマニラ・アジア競技大会に初参加した。この大会で自由主義世界の各国は団結したが、その動きは静かだった。主催国フィリピンは台湾を参加させつつ、中国にも門戸を開いた。「一つの中国」原則に基づく中国の不参加を予想しつつも、表向きは「脱政治」の立場を取ったのだ。実際、中国は参加しなかった。スポーツは高度な政治だった。『スポーツからみる東アジア史』で、二つの分断国家の当時の状況を紹介した高嶋航・早稲田大学教授は「非政治主義に固執すればするほど、政治的価値が高まるのがアマチュアスポーツの矛盾」と分析した。

■政治で具現する脱政治の理想

 スポーツの純粋さという理想は近代英国で確立された。具体的には、アマチュアに資格を制限する政治的措置によって商業主義と労働者の参加を排除し、「純粋性」を確保した。「競技場内の非政治性(という幻想)を競技場外の政治を通してつくり出すことが、『スポーツと政治は別』という理念の意味だと言える」

 アジアにおいてスポーツは、階級とは違う意味で政治的だった。対外的には西欧に対抗する汎(はん)アジア主義が、内部的には陣営を巡る力学関係が、国際大会を通して表出した。本書は、20世紀以降のアジア各国の政治的動向がスポーツとどのようにかみ合ってきたかを分析する。オリンピック、アジア大会を中心に各国政府や体育界の動きを細かく復元し、スポーツの歴史がすなわち政治史であったことを論証する。基本的に、日本からの視角を取っているが、分断された韓国・北朝鮮、中国・台湾にも重きを置き、韓国現代史を新たな角度から見つめさせてくれる。訳者らの表現によるならば「東アジア・スポーツ五国志」だ。

 西欧に押さえ付けられていたアジア各国の連帯を名分として1951年、第1回アジア競技大会が行われた。1950-60年代には国号の表記などを巡る韓国・北朝鮮、中国・台湾の代表性競争が激しく展開した。文化大革命を経験した中国が国際スポーツに復帰した70年代を経て、80年代からは統合の動きが始まった。例えば、韓国と中国はこの時期、「中共」と「南朝鮮」の代わりにそれぞれ公式な国号で相手を呼び始めた。86年(ソウル)と90年(北京)アジア大会の成功にお互いが必要だったからだが、相互尊重は冷戦の終息と合わさって92年の韓中国交正常化につながった。

 2000年代に入り、南北がスポーツで和合する様子がしきりに演出された。02年の釜山アジア大会での共同入場が代表的な場面だ。しかし、問いが残る。スポーツは分断を克服できるのか? 18年の平昌冬季オリンピック当時、金与正(キム・ヨジョン)をはじめとする北朝鮮の最高位層が訪韓したが、その後の南北関係を見ると、答えは否定的なものにならざるを得ない。しかし、純粋なスポーツという理想は依然として放棄できない。未実現状態のその理想が、逆説的に、抱擁と連帯という価値の重要性を想起させ続けるからだ。

■変わらない汗の価値

 9月23日、杭州アジア大会が公式に開幕した。人々は、歴代最多となる1万1970人の選手たちが繰り広げる協議に熱狂するだろう。スポーツに介入する政治とは別に、汗の価値を尊重しているからだ。

 『スウェット』は、その汗を端緒として運動の歴史を探求する。米国のフリーランスの作家で、「医学界の桂冠詩人」オリバー・サックス(1933-2015)のパートナーだった著者は、ジムでステップミルマシンを使っていて、汗と運動の起源について好奇心を抱いた。気になったことを解消するため、時代や分野を超えていった。卓越さの証しとして優勝選手の汗を高値で売っていた古代ギリシャ社会を歴史的に考察し、汗腺の構造と発汗のプロセスを進化論的に考察し、女性たちに自由と独立の感覚を持たせた淑女用自転車と女性参政権拡大の関係を政治社会学的に考察した。

 オリンピアの競技場(スタディオン)遺跡で著者が思い浮かべた古代ギリシャの詩句は、排せつ物に過ぎない汗の意味を再考させる。「技量を証明されたのだから/空中を飛ぶように歩きつつ/心の中で/巨万の富よりさらに甘い計画が芽生える」。汗は鍛錬と忍耐、高揚の別名でもある。

チェ・ミンギ記者

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