「コレ? ゲルチェクテン・テセクィル・エデリム!(韓国? 本当にありがとう!)」

 今月7日(現地時間)、テュルキエ(トルコ)のカフラマンマラシュ県パザルジクに建てられた「テュルキエ-韓国友情の村」だ。村の入り口に入ると、入居者たちがあいさつで出迎えてくれた。同日、2月の地震で家を失った同地域の住民2670人の新居入居式が行われた。大韓赤十字社が10万平方メートルの敷地にコンテナ1007棟を設置した。

 入居者たちは「韓国から来た」という言葉に親指を上げた。「ビズ・カルデシュズ!(私たちは兄弟だ)」と歓迎する住民もいた。入居者の子どもたちは同日、祝賀公演を行った。子どもたちは入居式に訪れた韓国人参加者たちに自分たちが描いた絵画を披露した。韓国とテュルキエの子どもたちが手を取り合っている絵をはじめ、くねくねと書かれたハングルによる感謝のメッセージもあった。

 大韓赤十字社は子どもたちの祝賀公演に対する返礼として、ソウル市の京畿小学校の児童たちが真心を込めて描いた絵画を送った。京畿小学校の児童たちは、テュルキエ地震当時、1300万ウォン(約144万円)の寄付金を集めて送金した。絵画を受け取ったテュルキエの子どもたちはハートの形を作って見せた。パザルジクのムハンマド・カヤ郡守は「ここにはテュルキエでも最も大きな被害を受けた人々が集まっている」とし「兄弟国家である韓国がいち早く支援してくれたおかげで逆境を乗り越えて立ち上がることができた」と話した。大韓赤十字社のキム・チョルス会長は「テュルキエは6・25戦争当時、一番先に駆け付けてくれた兄弟国」とし「多くの韓国国民がテュルキエを助けるために自発的に乗り出した」と答えた。

 入居者向けのコンテナは、LGやポスコなど韓国企業が支援した家電製品で満たされていた。4歳の息子と共に崩れた自宅から脱出したセルベール・エルピルティさん(34)は「命を除いては全てを失い、絶望的だったが、最も必要と思われた生活必需品が完備された素晴らしい家が与えられて、とても幸せ」と笑みを浮かべた。明け方に地震の音で目が覚めた後、すぐに子どもたち3人を連れて外に飛び出したことで一命を取り留めたエリフ・サイインドさん(30)は、地震がトラウマになってしまった子どもたちが心配と言う。彼は「子どもたちが小さな音にもびっくりし、建物の中に入ろうとしない」とし「新しい家ができただけに、今は子どもたちに心理的な安定を取り戻してあげたい」と話した。大韓赤十字社は、このような子どもたちのために村に学校や図書館、公園、心理カウンセリングを支援するコミュニティーセンターを建設している。

 地震が起きてから8カ月がたったが、被害規模が大きく、復旧のスピードは遅い。マグニチュード7.7の強震が発生したカフラマンマラシュ県には、今も倒壊した建物の残骸が至る所に放置されていた。ソウル市の明洞に相当する中心商業地区「トラップ・ゾーン・ジャデシュ」通りには、崩れたビルの前に臨時に設置されたコンテナ・ボックスで商人たちが物を売っていた。市民たちは崩壊した建物の残骸の後方にある飲食店で食事を取った。近隣の大型マンション団地は、建物全体にひびが入ったまま、まるで幽霊屋敷のような様相を呈している。崩れてはいないものの、崩壊の危険性があるため、これ以上は人が住めないという。地震で半壊した建物ではフォークレーンが撤去作業を行っていた。人通りのない住宅街には撤去作業を行う人々だけが見受けられた。カフラマンマラシュ県庁舎があった都心にはテントで作られた難民村があった。いまだに多くの被災者が臨時の住宅さえ見いだせずにいた。崩壊の危険性がある建物を全て撤去し、被災者たちが新しい住宅を準備するまでには相当な時間がかかるだろう、と現地関係者は明らかにした。

 テュルキエとシリアで地震が発生してからの8カ月間で、大韓赤十字社には計385億ウォン(約43億円)の寄付金が集まった。このうち、韓国-テュルキエ友情の村建設と被災者への給食支援、シリア保健医療支援などに192億ウォン(約21億円)が使われた。大韓赤十字社は、今回建設した臨時住宅団地の他にも地震による被害が大きかったシリア近隣のハイタイ県アンタキア地方にも人道支援センターを設け、地震による被災者を支援する予定だ。地震で崩壊したテュルキエの血液関連施設を復旧するため、血液センターと献血の家の再建も進めている。

オ・ジョンチャン記者(朝鮮日報・大韓赤十字社共同企画)

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