▲「独島の日」に当たる10月25日午前、大邱市達西区長基洞の達西アートセンターで開かれた「独島の日キャンペーン」に参加した「ハヌル庭園幼稚園」の園児たちと区庁職員、達西区住民らが太極旗を振って「独島よ、愛してる」と叫んでいる様子。/写真=ニュース1

 広く知られてはいないが、10月25日は「独島の日」だった。大韓帝国が1900年10月25日に、独島を鬱陵島付属の島に定めた。およそ20年前から民間レベルでこの日を記念している。しかし独島の日は10月25日よりも、1月18日の方がより実質的だと考える。1月18日は、大韓民国が独島を実効的に支配できるようにくさびを打った日だ。

 大韓帝国が独島の主権を宣言しても、実質的意味はなかった。すぐに日本に併合されて韓半島全体が日本領になったので、国際法的に独島も日本に属することになった。やがて日本が米国に降伏して韓国・日本の全ての領土が米国の管轄となり、独島もまたこれに含まれた。独島の曲折も始まった。

 日本の総督だったマッカーサーは「マッカーサー・ライン」を宣言した。日本の船舶が出ていくことのできる限界線だった。独島はマッカーサー・ラインの外にあった。おのずと、独島が韓国に属することになる論理的結果を生んだ。連合軍最高司令官覚書1033号(SCAPIN1033)も、具体的に日本船舶の独島海域への出入りを禁じた。主権がない日本はこれに抗議する余地がなかった。

 しかしすぐに、二つの深刻な問題が浮上した。6・25南侵で韓国と米国が戦争に忙しくなるや、日本の漁船が露骨にマッカーサー・ラインを無視して独島付近に出現し始めた。加えて1951年には日本の主権を回復してやるサンフランシスコ条約が最終合意された。独島を巡り韓日対立の板挟みになっていた米国は、この条約から独島を外してしまう。日本の主権が回復されると同時に、マッカーサー・ラインも無効になった。

 独島領有に対する国際法的保護が一斉に消える危機が迫っていたが、当時の韓国の海洋力はあまりに頼りなかった。世界的な海洋国家・日本とは比較にもならなかった。しかし韓国には外交の鬼神ともいえる李承晩(イ・スンマン)大統領がいた。李大統領は、釜山へ避難中だったにもかかわらず、サンフランシスコ条約が発効する直前の1952年1月18日、一方的に「平和線」を宣言した。60カイリまで韓国の領海だという発表だった。鬱陵島から独島まで50カイリほどだったので、独島を領土に含めるための宣言だった。当時の国際法上、領海の基準は3カイリだった。何の法的根拠もない李承晩ラインに、日本はもちろん国際社会もあきれた。中共軍の介入に遭って共に血を流して戦っていた米国まで反対した。

 世間は誰もが非難したが、李大統領は平和線を越える日本の船に容赦なく銃撃を加え、拿捕(だほ)した。平和線宣言から1年後には、独島義勇守備隊が独島を守り始めた。李大統領の立場からすると、陸では中共軍と戦い、海では日本と戦っているような格好だった。1965年の韓日漁業協定で平和線がなくなるまでの間に、300隻を超える日本船が拿捕された。4000人近い日本人が韓国の刑務所に拘禁され、およそ40人は死にまで至った。日本は、独島は自分たちの領土だと主張はしたが、実効的措置は何もできなかった。独島に対する韓国の実効的支配はまさにこの平和線で始まったと思う。今の若い層は「平和線」をほとんど知らないが、何の力もなかった国が「力による外交」で領土を守ったドラマのような事例だ。6・25戦争と平和線宣言、韓米同盟締結まで、実に李承晩の疾風怒濤(どとう)の時期だった。

 李承晩の外交的先見は知れば知るほど感嘆させられる。中共軍介入後、国連軍では日本軍の投入を検討し始めた。すると李承晩は「日本軍が来たら、まず日本軍を退け、その次に中共軍と戦うだろう」と宣言した。存亡の危機に陥った国は、外部の支援は何であれ受けようとする。だがあのとき、もし日本軍が来ていたら、後々まで問題になっただろう。1953年には台湾軍投入も議論された。台湾は同じ反共国家だったが、李承晩はこれさえも拒否した。「われわれは長い間、中国に抑え込まれて発展できなかったのに、再び中国人の助けを受けることはできない」と言った。

 戦争が終わり、1954年に李承晩は米国でアイゼンハワー大統領と最悪の韓米首脳会談を行っている。アイゼンハワーが韓日関係の正常化を要求すると、李承晩は断固拒絶した。怒ったアイゼンハワーは部屋を出ていってしまった。戻ってきたアイゼンハワーが別の問題を話し合おうとすると、今度は李承晩が先約を理由に退場してしまった。彼は、日本だけは容認できなかった。

 李承晩はこのときの米国議会演説で「共産国家である中国は、いつか自由世界を大いに脅かすことになるだろう」と予言した。1954年当時、中国は非常に遅れた国で、この予言は注目を集めなかった。しかし李承晩が日本の真珠湾攻撃を予言したように、69年前の李承晩の中国脅威論もこんにち現実になった。

 現在、韓国と日本は自由民主の価値を享有し、中国・北朝鮮の脅威に共に対処せねばならない関係だ。在日同胞の高校野球チームの訪韓まで拒んでいた李承晩式の「反日」はもはや国益ではない。だが韓国国内の一部で、李承晩を「親日」と罵倒しているのを見ると、あきれ返る。ほかでもない、一時は政権を保持していた文在寅(ムン・ジェイン)側の人々のことだ。彼らは、2019年には臨時政府樹立100年に合わせて独立運動家10人を選定しておきながら、臨時政府の初代大統領である李承晩は排除した。彼らがいかに無知で、深刻な偏見に陥っているか、これ以上によく示してくれるものはない。

楊相勲(ヤン・サンフン)主筆

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