▲ソウル・世宗大路の歩道で敷石を再整備作業を行う関係者たち。/チャン・リョンソン記者

 愛の温度塔や救世軍の社会鍋(いずれも助け合い募金活動)、クリスマスのディスプレーやイルミネーション、焼き栗や焼き芋の屋台など、年末のおなじみの風景が街を彩っている。しかし、全くワクワクしない年末の風物詩も一つある。歩道の敷石の交換工事だ。何の問題もない道が、にわかに工事現場に変わるのだ。韓国建設産業研究院によると、実際に国土交通部(省に相当)が発注する公共工事は、年末に集中する傾向がある。会計年度独立の原則に従って、歳出予算をその年度内に全て執行しようとするためだ。それに加え、歩道の敷石の交換工事は事業費の構造が単純で視覚的な変化の効果も大きいため、地方自治体が好んで実施するという。

 このような年末の歩道工事は長い間、市民にとって不満の対象となってきた。このため十数年前、当時の朴元淳(パク・ウォンスン)市長は、「歩道敷石市長」を自任し「歩道敷石の十戒」を発表した。予算の無駄遣いを減らし、手抜き工事を防止するという趣旨だったが、その一つとして「歩道工事クロージング11」という実にこっけいな「官用句」を考え出した。全ての工事を11月までに終わらせるという約束だ。年末ギリギリに予算を消化するという印象を少しでも変えようとしたわけだが、その後も一般市民の目には特に変化は感じられない。実際には、歩道の敷石の交換工事は必要であればすぐにでも実施しなければならない。歩道というのは上・下水道や通信ケーブルといった地下埋設物の設置、空中線(アンテナ)の埋設、新規建築物の配管工事などのために、ひっきりなしに掘り返されては埋められる。これは歩道の生まれながらの宿命だ。

 歩道の敷石工事自体が誤っているのではない。問題の本質は、こうした工事を含めて韓国の歩道が全般的に、利用者にとってあまりに不便で醜くて危険だという事実なのだ。これは手抜き工事の結果にほかならない。割れたりゆがんだり、へこんだり粉々になったり、そのような壊れた敷石が歩道の周辺にあまりにも多い。街灯や信号機、換気口、街路樹、消火栓、郵便ポスト、マンホールなどさまざまなものが地面から飛び出しているため、歩道の敷石の仕上げ工事は「彫刻家レベルの丹念さ」が求められるというが、この分野に関する限り、韓国と先進国の間の技術格差は30年以上あると評されている(パク・テグン『歩道の敷石には罪がない』)。世界最高水準の高速道路や高速鉄道、国際空港を誇る国が、歩道に関しては敷石すらまともに敷き詰められないのだ。

 市民意識や政治文化の責任もある。歩道に面した店が公共の歩道を無断で侵犯するケースは至る所で見られるし、違法な広告物が通行を妨げるケースも日常茶飯事だ。ボラード(車両侵入防止用のポール)を破壊してまで歩道上に車を止める違法駐停車も蔓延しているが、地方自治体の取り締まりはあってないようなものだ。選挙を意識しているからだ。そのためボラードも実際に効果があるのか微妙なケースが多い。このように、韓国の歩道には地雷や暗礁、伏兵が至る所に潜んでいる。道路関連の政策を担当する役人たちは、つえをつきながら、または車いすに乗りながら、あるいはベビーカーを押しながら、このような歩道を一度でも歩いたことがあるのだろうか?

 ソウル市は今年10月「ソウル観光インフラ総合計画」の細部案を発表した。西村や益善洞(いずれも鍾路区)など都心の観光地の歩行者用通路を大幅に改善するという目標も含まれてはいるが、主な事業内容は換気口や電柱、公衆電話のブースなどの位置調整や地中化、喫煙ブースやごみ箱の設置などとなっている。ソウル市が歩行環境に目を向けたことはもちろん歓迎すべきことだ。しかし、それが外国人対象の観光インフラ増進という観点から論議されたということはかなり残念だ。いわゆる「歩きやすい都市」の恩恵や魅力は、そこに住む市民が真っ先に享受すべきではないのか? 最近、市内各所でさまざまな名目の「歩行者専用路」を設置する取り組みが見られるが、それにも首をひねりたくなる。歩行者のために作った道が歩きやすくなるというのは常識や原則にすぎないわけで、今更特別に強調すべきこととはとても思えない。

 歩行環境は先進国と開発途上国を分ける尺度の一つだ。先進国では、歩道の敷石工事でも「匠(たくみ)の精神」はいかんなく発揮される。西欧には土木に芸術を融合させるという伝統的な建築文化があるからだが、言うなれば「神は細部に宿る」と信じる職業的召命感の勝利だ。その結果、街の道路のほとんどには自然にインフラとアメニティー(心地よさ)が同時に備わっている。また、現在は徒歩15分で基本的な生活が完結する「日常生活圏」が徐々に重要になっている。これは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)をきっかけに、世界的に注目を集めるようになった「15分都市」の概念だ。生活必需品の買い物や外食、学習塾、病院、趣味、レジャーといった日常的な消費活動はできるだけ歩いて行ける範囲で完結させよう、というものだ。こうした観点からも、韓国の「歩きにくい都市」は、目先の苦情や対外的な恥ずかしさを解決するという次元ではなく、歩行者にやさしい未来都市を目指すという意味でもこれ以上放置することはできない。

全相仁(チョン・サンイン)ソウル大名誉教授(社会学)

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