▲米国最高権威のエミー賞の授賞式で監督賞、作品賞、男女主演賞など8部門を総なめにした『BEEF』の1シーン。/ネットフリックス

 ネットフリックスのドラマ『BEEF/ビーフ 〜逆上〜 』(以下、『BEEF』)が、米エミー賞で8部門を総なめにした。すると韓国国内の一部では「韓国的なストーリーが通用した結果だ」という分析が飛び出した。ドラマに韓国的な要素が多いのは事実だ。監督と俳優数名が韓国出身の米国人だ。即席麺やトッポッキ(餅の甘辛炒め)、LG電子、大韓航空、そして韓人教会も登場する。駐車場でクラクションを鳴らしたことで始まった些細ないざこざが、息詰まる復讐(ふくしゅう)劇へと発展する『BEEF』は、吸引力の強いドラマだ。筆者も昨年、ネットフリックスで公開された直後に全10話を一気に完走した。ただしそれは、韓国的な要素に引き付けられたからではなかった。イ・ソンジン監督も話していたように、このドラマで韓国的なディテールはストーリーの写実性を高めるための小物にすぎない。ドラマにハマったのは、いともたやすく怒りの感情に屈服する2人の主人公を見て、自分の気持ちを鏡で見ているような感覚を覚えたからだ。

 このドラマには、ハリウッドが東洋のストーリーを描く際にありがちなおなじみのパターンは出てこない。移住者のアイデンティティーとか人種差別といったテーマも、主人公にあいまいな助言をするメンターや武術の達人といったキャラクターもいない。東洋人が重要な役柄で登場し、これまで西洋人俳優の独壇場と考えられていたメーンストーリーの部分を演じた。男性主人公のダニーは貧しい工事業者だ。韓国にいる両親のことをいつも思っているが、仕事をするたびに失敗し、何度も死を考える。女性主人公のエイミーは観葉植物関連の事業で成功するが、忙しさにかまけて娘を放置したという罪責感にかられ、夫や取引先とは関係がスムーズにいかず幻滅する。生きざまは異なっても、人生の重さに抑圧されたまま欠乏感に苦しめられる点で二人は同じような立場に置かれている。ハリネズミのように傷を隠してうずくまっているときに、誰かに触れられたら爆発してしまうように、とげを広げて攻撃するという形にも似ている。

 『BEEF』は「憤怒する人間」というテーマを掘り下げる過程で、視聴者に神話と古典、現代音楽を融合させるという豊かな文化共有経験をさせてくれる。「欠乏が怒りを呼ぶ」という問題意識は、古代ローマの詩人、オウィディウスの叙事詩『変身物語』に登場する「ユーノーの怒り」につながる。女神のユーノーは浮気におぼれる夫のユピテルが人間の女性と一緒にいるところを最初は見なかったことにしてやり過ごすが、女性が妊娠すると欠乏感に襲われる。「あなたが隠密な情事で満足していたとすれば、私の結婚のベッドに影響を及ぼさなかったはず。でも妊娠までいった。そんなことは私ですらまだ起きていないのに」と怒りに包まれながら女性に死の罰を与える。

 ダニーがエイミーの豊かさを羨ましがると、エイミーは「永遠に存在するものなどなくて、全てのものは消えてなくなる」として「人間は自分のしっぽを食べるヘビにすぎない」と言う。「一見、成功したように見えるが、そのせいで自分の人生を食いつぶしてしまった」というエイミーの自覚は、ギリシャ神話に登場するヘビ、ウロボロスの話にちなんでいる。1990年代に結成されたロックバンド、フーバスタンクのヒット曲を聴かせ、シルビア・プラスの詩を詠み、20世紀の著名な米国の小説家ジョセフ・ヘラーの小説でおしゃべりもする。死闘を繰り広げた末に互いの体の中に入り込んで内面を知るという幻想的な経験をして、ついに二人は「あんなに恨んでいたあいつは、もう一人の自分だった」と悟る。昨年春にドラマが公開されると、米ABCニュースは「エミー像をよく磨いておいて」と早々に受賞を予告した。西欧の長きにわたる文化的蓄積を探索し、優れた腕で苦労の末に融合させた東洋人監督と俳優たちの苦労を認めたのだ。

 ドラマの第10話のタイトルは『光の形』だ。「悟りというのは光の形を想像するのではなく、暗闇を知ることで訪れる」というスイスの心理学者、カール・ユングの文章を引用している。イ・ソンジン監督も、主人公を演じたスティーブン・ユァンとアリ・ウォンも、東洋人にとっておなじみのストーリーとハリウッドが何度も強要してきた役割から抜け出すという冒険を選んだかからこそ、エミー賞の最も高い場所で輝くことができたのだろう。

キム・テフン論説委員

ホーム TOP