▲二階俊博・元自民党幹事長が、政治資金問題で次期衆院選への不出馬を宣言した。写真は2017年6月、全羅南道木浦の共生園を訪れて子どもたちと交流する二階氏。共生園は、日本出身の田内千鶴子(尹鶴子〈ユン・ハクチャ〉)さんが韓国の孤児たちを支援してきた施設だ。/聯合ニュース

 日本政界の大物で代表的な親韓派の二階俊博・元自民党幹事長が、次期衆院選には出馬しないと表明した。今年で85歳になり、事実上の政界引退宣言だ。歴代の自民党幹事長の中では最高齢(77歳5カ月での就任)、最長期間(5年2カ月)記録を持つ「政治の鬼才」も、昨年末から自民党を揺るがしてきた政治資金スキャンダルを避けることはできなかった。

 二階氏の秘書は、3526万円の政治資金を報告書に記載せず裏金にした疑いで起訴され、有罪が確定した。これを受けて二階氏は25日に記者会見を開き「全て問題は監督責任者である私自身にあるのは当然。政治不信を招き、国民に深くおわびする」として、次期衆院選には出馬しないと述べた。自民党総裁の岸田文雄首相は「二階・元幹事長の功労を考慮すべき」として、党の懲戒猶予を示唆した。

 読売新聞は1面トップ記事で二階氏の不出馬宣言を取り上げた。それほどに、二階氏は日本政界を左右してきた大物だ。中央大学卒業後、国会議員秘書として政治に入門し、和歌山県議会議員を経て1983年に衆議院に初当選した後、13回連続で当選した。8年近く続いた第2次安倍晋三首相体制において中心的な役割を果たした。2020年に安倍首相が病で退くと、二階氏は、当時国民の間で高い支持を得ていた石破茂・元防衛大臣ではなく菅義偉官房長官を支持し、後任の首相として「擁立」することに成功して「キングメーカー」とも評された。

 二階氏は90年代末に運輸大臣を務める中で韓国と接近し始めた。全国旅行業協会(ANTA)の会長を兼任していた二階氏は、2001年の仁川空港オープンで金浦空港の国際線運航が中断した後、「金浦-羽田」路線開設の先頭に立った。金大中(キム・デジュン)政権の実力者だった朴智元(パク・チウォン)大統領府秘書室長と意気投合し、最終的に金浦-羽田間に飛行機を飛ばすことに寄与した。この路線は過去20年間でおよそ3000万人を運び、韓日関係の中枢の役割を果たしている。

 二階氏は12年の麗水万博の成功にも少なからず寄与した。二階氏は「麗水万博を契機として真の友好の時代を開こう」と、日本が真っ先に麗水万博参加の意思を表明するようにした。万博1年前には日本の旅行会社の代表らを連れて麗水を訪れ、日本で麗水万博ブームをつくり出そうとした。そのとき日本の一部で、独島が表記された韓国の万博PR地図が問題になった。すると二階氏は「私の目にはよく見えない。騒がずに隣国の祭典成功に力を貸そう」と説得した。二階氏は万博成功に寄与した功績により、翌13年に韓国大統領府で当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領から金塔産業勲章を授与された。

 二階氏はその後もたびたび支持者を率いて韓国を訪れ、両国の協力の必要性を強調してきた。17年、18年には2年連続で自派閥の国会議員、地方議員など計300-400人を連れて来韓した。

 10年には、自身の選挙区である和歌山市に、壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)当時朝鮮に帰化した日本軍の将帥・金忠善(キム・チュンソン)=日本名:沙也可=を追悼する記念碑を立てた。金忠善の子孫が集まって暮らす集落(集姓村)がある大邱市友鹿も訪れた二階氏は「日本が反省して贖罪(しょくざい)でき、真に両国の信頼のため努力できる心の表現」と語った。

 二階氏は韓日関係において悪材料が生じるたび、舞台裏で「解決士」として動いた。18年10月の大法院(最高裁に相当)徴用賠償判決、19年7月の日本の半導体部品等輸出禁止で関係が悪化すると「まず日本が手を差し伸べて、譲歩できることは譲歩しよう」と語った。兄弟と呼び合うほど親しい関係だった朴智元・国家情報院長=当時=が特使として派遣されると「東京は見ている目が多すぎる」として大阪のホテルに衆院議員3人を連れて現れ、6時間にわたり解決策を模索した。韓日関係に明るいある外交官は「二階・元幹事長は、公式な場はもちろん私的な席でも韓日の友好関係を強調してきた」とし「今後、日本の政治家の中で誰が二階氏のような役割を果たせるか、分からない」と語った。

李河遠(イ・ハウォン)記者

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