コラム
父親たちが切り開いた中国との関係とその息子たちの課題【朝鮮日報コラム】
1992年8月25日付の朝刊各紙は、その前日に発表された韓中国交回復のニュースを「歴史的事件」として大々的に報じた。当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領は特別談話で「わが民族の平和と統一の障害となる全ての外的障害が克服された」と宣言した。それから33年が過ぎ、各紙は再び盧泰愚大統領の名前を1面に掲載した。盧泰愚大統領の長男で財団法人東アジア文化センターの盧載憲(ノ・ジェホン)理事長が李在明(イ・ジェミョン)政権最初の中国駐在韓国大使に指名されたというニュースだ。盧泰愚大統領がまいた韓中国交回復の種が世代を受け継いで結実したのだ。
【写真】中国ディープシークの開発を主導した「天才少女」羅福莉さん
しかし韓中国交の歴史は主人公だけでなく脇役やエキストラの活躍があって初めて完成する。1992年夏に蔚山市内の平凡な家庭の家長だった記者の父は韓中修好のニュースに接し、人生を揺るがす大きな決断をした。「中国は近く巨大なチャンスの地になるだろう」と考えた父は、仕事をやめて中国東北部の大慶に渡り貿易商となる道を選んだのだ。
父のように中国に渡った韓国人はこの年だけで約4000人に達するという。その後2000年代に入るとサムスンや現代など大手企業の中国進出が本格化し、中国在住の韓国人は20万人に膨れ上がった。在韓米軍のTHAAD(高高度防衛ミサイル)問題が起こるまで韓国の貿易黒字の80%近くが中国で稼ぎ出され、韓国は中国の低賃金と豊富な労働力に力を得て世界のサプライチェーンで重要な立場を確保した。大統領が国の未来を賭けて韓中国交回復を決断し、これを受けて韓国の多くの家長たちは家族の運命を賭けて中国行きを選択し大きな成果を手にした。
ただし残念だが父たちが抱いていた中国への期待は最近しぼみ始めている。盧泰愚大統領は韓中国交回復で韓半島の平和が保障されると予想したが、今月4日に北京で行われた朝中首脳会談で「非核化」は全く話題にならなかった。前日行われた軍事パレードでは北朝鮮、中国、ロシアの首脳が並び立つ姿を全世界が見守った。父たちは「中国市場が開放されれば韓国企業は限りなく富が得られる」と信じていた。ところが記者が書く記事は韓国企業が中国から撤収し、中国からの原材料輸入がストップし、先端技術分野で中国が韓国を上回る現実を伝えている。1992年の国交回復から30年以上続いてきた貿易黒字も2023年には年間で赤字となった。
今回、かつて国交回復を決断した大統領の息子が大使館のトップに、貿易商の息子はその大使館に出入りする特派員として会うことになった。父たちが中国に希望を抱き第一歩を踏み出したとすれば、息子たちは巨大化した中国との共存と競争に向けた解決策を見いださねばならない。国運を左右するこの課題は誰かが一人で抱えるわけにはいかない。主人公とエキストラを分けず全員の力を合わせて解決すべき今の時代の課題だ。中国で奮闘する企業関係者、研究者、ジャーナリスト、現地在住の韓国人たちの声を新任大使がしっかりと把握し、共に走り回ってほしいものだ。
北京=李伐飡(イ・ボルチャン)特派員