▲左から金景・元ソウル市議、姜仙祐国会議員(無所属)、金炳基・元民主党院内代表/ニュース1

 朝鮮王朝末期の趙秉甲(チョ・ビョンガプ)は1892年に全羅道の古阜郡守(郡の首長)として赴任したが、なぜか翌年に益山郡守に異動となった。ようやく落ち着いて仕事を始めようとしていたところに異動を命じられると、それを覆すための働きかけに手を尽くした。趙秉甲は全羅道の監司だった金文鉉(キム・ムンヒョン)を訪ねた。既に趙秉甲からいろいろと便宜供与を受け取っていた金文鉉は、中央に留任要請を送り、趙秉甲を古阜郡守に戻した。古阜郡守に復帰するまで1カ月余りを要したが、記録によるとその間に後任者6人が古阜に赴任しては退いた(シン・ボクリョン著「東学思想と甲午農民革命」)。当時の売官がそれほどひどかった。広大な平野に位置する有力郡守ポストに空席が生じると、そこに割り込もうとした人が多かったのだ。王朝が率先して官職売買を行っていた。やがて滅びる朝鮮王朝の末期症状だ。

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 趙秉甲のことを思い出したのは「区庁長」を狙った金景(キム・ギョン)元ソウル市議の一件だ。 彼女が共に民主党の姜仙祐(カン・ソンウ)国会議員を含む与党の実力者議員に「懇ろに頼み込んだ」ことが通話音声記録で残っているという。2023年7月、江西区庁長選への出馬に失敗し、「カネを使いすぎた、もったいない」と語った際の心情は、古阜から一夜にして益山に異動させられた趙秉甲の心情と似ていたのではないか。

 官職売買は費用対効果の観点から見なければならない。金銭で官職を得ることができ、それを回収できるならば、金銭をどれだけ投じるかという「価格」が生じる。費用回収は大半が公共事業という形態を帯びる。例えば趙秉甲は郡の住民を動員して万石洑という堰を築き、水に税を課してそれを着服した。金元市議は在任中に青年向けの「買い取り賃貸住宅」の拡充を繰り返し求めたというが、その際に弟が建てた賃貸住宅物件をソウル住宅都市開発公社(SH)に青年賃貸住宅用として売却したという疑惑を受けている。家族が運営する会社がソウル市とその傘下機関から研究事業などを受注したという疑惑もある。直接収奪してはいないだけで、これも国民の税金を着服したものだ。

 全羅道の監司・金文鉉が趙秉甲に郡守のポストを準備してやったように、今は国会議員が公認を約束し、地方議員は利権を手にする。金炳基(キム・ビョンギ)国会議員の夫人に自分の業務推進費用クレジットカードを使わせた銅雀区議会副議長は地域の再開発組合長だった。公認を与えて「上納」を期待し、公認を得られたおかげでさまざまな許認可、条例、予算、陳情に介入して金銭を得ることができた。

 国民が選挙で公職者を選ぶ時代に朝鮮王朝末期の話をなぜ持ち出すのかと言うしれない。しかし、こういうことが起きる背景に実は選挙はあまり関係がない。特定政党の公認さえ受ければ当選が保障されるので、こういう「収益モデル」が成立するのだ。金景元市議は「自分だけではないのに納得がいかない」と発言したというが、あながち間違いではないだろう。今も全国に226ある市・郡・区のどこかで当選の保障と引き換えにクレジットカードを差し出したり、「献金」という名目の賄賂を上納したりする人々が列を成していることだろう。

 「ヘル朝鮮」(地獄・朝鮮という造語)という言葉が登場してから10年余りが過ぎた。それは同時に流行した「スプーン階級論」「努力の裏切り」のような言葉と共にやや誇張混じりの比喩として受け入れられた。いくら不公正であっても、国民を制度的に収奪した本物のヘル朝鮮(朝鮮王朝末期)とは比較にならないと考えたからだ。

 しかし、昨年韓国の純資産ジニ係数が0.625を記録した。社会的不平等を示すこの指数が0.5を超えると、共同体が耐え難い不平等社会に突入したと評される。過去に中国やフランスでは純資産ジニ係数が0.6を超えたレベルで市民の反乱や暴動が発生したケースもあったという。韓国総合株価指数(KOSPI)が5000の大台に乗り、バラ色の展望がどれだけあふれても、不動産価格の高騰と資産の二極化を感じている人々はむしろ剥奪感を覚えかねない。そこに金景元ソウル市議と姜仙祐、金炳基両国会議員は民主主義と選挙制度を翻弄し、また別の収奪の構図を見せた。今やここはヘル朝鮮なのかと尋ねる誰かに対し、自信を持って「違う」と答えることはますます難しくなっている。

シン・ドンフン記者

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