【寄稿】日本書紀にのみ登場する任那日本府、その実像は

2016/09/15 06:04

▲慶尚南道咸安の街中にある、伽耶時代の建物跡の発掘地。「529年3月に阿羅国(阿羅伽耶)が百済・新羅・倭の使節を招いて開催した」と日本書紀に記録されている高堂の会議場と推定されている。

 「任那日本府」は、古代日本の大和政権が西暦720年に編さんした『日本書紀』にのみ登場する用語だ。しかし、ここから派生した「任那日本府説」は、近代日本の歴史学界が作り出した、歴史を装った虚像だった。任那日本府説とは、日本が4世紀から6世紀まで実に200年間にわたり、百済・新羅・伽耶を含む韓半島(朝鮮半島)南部地域を近代の植民地のごとく経営し、その統治の中心として伽耶地域に任那日本府を設置・運営した..

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