▲6・25戦争当時、北朝鮮を爆撃するB29/国連軍司令部のツイッター
米軍が6・25戦争当時の平壌や新義州など、北朝鮮の主要地域に対する爆撃計画とその様子を撮影した写真を公開した。北朝鮮の核の脅威が高まる韓国国内では独自の核武装を求める声も高まっているが、そのような中で「米国は有事に韓半島に対する拡張抑止(核の傘)の約束を変わらず守る」との意志を間接的に表明したものと受け取られている。
国連軍司令部は先日SNS(交流サイト)を通じ、1951年1月に国連軍が北朝鮮を..
続き読む
▲6・25戦争当時、北朝鮮を爆撃するB29/国連軍司令部のツイッター
米軍が6・25戦争当時の平壌や新義州など、北朝鮮の主要地域に対する爆撃計画とその様子を撮影した写真を公開した。北朝鮮の核の脅威が高まる韓国国内では独自の核武装を求める声も高まっているが、そのような中で「米国は有事に韓半島に対する拡張抑止(核の傘)の約束を変わらず守る」との意志を間接的に表明したものと受け取られている。
国連軍司令部は先日SNS(交流サイト)を通じ、1951年1月に国連軍が北朝鮮を爆撃する様子を撮影した6枚の写真を公開した。これは米空軍が提供したもので、韓国軍と国連軍が江原道三陟で共産軍の南下を阻止し、米軍の「B29スーパーフォートレス」を含む戦略爆撃機などが北朝鮮上空から爆弾を投下する様子も撮影されている。国連軍司令部は「1951年1月9日に国連軍は後退から反撃へと態勢を転換し、300機の軍用機が平壌などを激しく爆撃した」と説明した。
米軍将校が韓半島と日本の表示された大型の地図を背景に立ち、新義州を指し示す写真も公開された。これについて国連軍司令部は「(爆撃機が)何度も出撃した目標地点」としている。さらに「日本の東京郊外にある横田空軍基地が出発点だった」と説明されているが、横田基地は今も日本に7カ所ある国連軍司令部後方基地の一つだ。
国連軍司令部が72年前の爆撃機の写真を公開した理由は単なる広報以上の意味があるようだ。とりわけ今回の写真に出てくるB29は第2次世界大戦で日本の広島と長崎に核爆弾を投下している。ある韓国軍筋は「過去の写真を公開し、実際の韓半島有事に米国がいかに行動するかを示すと同時に、核の傘という約束を必ず守ることを強調したのだろう」とコメントした。
キム・ウンジュン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
Copyright (c) Chosunonline.com