▲グラフィック=李撤元(イ・チョルウォン)
「どうしてここまで来たのですか?」
ウクライナ軍捕虜収容所で会った北朝鮮の青年2人は韓国人記者が訪ねてきた理由が気になるようだった。「北朝鮮軍のロシア派兵を『フェイクニュース』と主張する人たちがいるので、直接確認するために来た」と語ると、やや驚いた様子だった。「北朝鮮の若者たちがロシアの戦争に動員され、たくさんの人が死に、あるいは負傷し、生きて捕虜にもなっている事実が信じられないようです」ともう..
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▲グラフィック=李撤元(イ・チョルウォン)
「どうしてここまで来たのですか?」
ウクライナ軍捕虜収容所で会った北朝鮮の青年2人は韓国人記者が訪ねてきた理由が気になるようだった。「北朝鮮軍のロシア派兵を『フェイクニュース』と主張する人たちがいるので、直接確認するために来た」と語ると、やや驚いた様子だった。「北朝鮮の若者たちがロシアの戦争に動員され、たくさんの人が死に、あるいは負傷し、生きて捕虜にもなっている事実が信じられないようです」ともう少し分かりやすく説明すると、何も言わず視線を変えてうなだれた。
【写真】インタビューに応じた小銃手のペク兵士(写真左)と偵察・狙撃手のリ兵士(写真右)
北朝鮮軍がロシアのクルスクに派兵され、戦闘を続けている証拠はあまりに多く、また昨年11月末からロシアとウクライナのメディアも繰り返し報じている。さらに韓国政府、米国、NATO(北大西洋条約機構)なども北朝鮮軍の派兵と戦闘に参加している事実を認めた。ところがこれらを全て「フェイクニュース」と主張する声も世界各地であふれている。何者かが背後から意図して広めているようにも感じる。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、捕虜となった北朝鮮軍兵士の写真を先月11日についに公開した。彼らが北朝鮮の方言で訊問に答える動画も一斉に、また繰り返し公開され、しかもこれらの動画にはモザイクや音声の操作も行われていない。しかしそれでも「北朝鮮軍の派兵は捏造(ねつぞう)だ」という主張は続いている。「朝鮮族を連れてきて作った動画だ」「指の形がおかしいから、AI(人工知能)で作成した映像だ」などの声がSNS(交流サイト)を通じて堂々と語られている。例えば「チャットGPTに質問すると『現時点で西側メディアや国際機関などで北朝鮮軍派兵の事実が公認されたことはない』と回答した」「AIも北朝鮮軍派兵をうそだと判断している」などだ。
誰かが事実関係を確認するしかない。記者の仕事は現場にある。たとえ優れたAIが登場しても、記者の仕事を代わりに務めることはできない。北朝鮮軍捕虜を直接取材するためにウクライナ取材経験のある編集局の複数の記者が総動員された。彼らが持つウクライナの人脈を通じてウクライナ政府やメディア、財界関係者などとさまざまな方面から接触を試み、北朝鮮軍捕虜を取材する方法を問い合わせた。ただしこれら全てのプロセスを韓国政府には伝えなかった。韓国の政治状況が急速に変わり、北朝鮮軍捕虜の取材に関係する部処(省庁)がかなりの負担を感じている印象を受けたからだ。「韓国政府が関与したところで、この取材はもちろん、政府にも弊害になるだけだ」との意見も取材チーム内部から出た。
一つ二つきっかけをつかみかけた段階でついにウクライナの首都キーウに向かった。2022年2月にロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まってから4回目のキーウ訪問だった。昼夜に関係なく何度も繰り返される空襲警報を聞きながら、10日以上にわたり北朝鮮軍捕虜問題に関与しているであろうウクライナ政府関係者に会った。23年5月にゼレンスキー大統領にインタビューした際に知り合った韓国に好意的なウクライナ政府関係者の後押しが大きな力になった。韓国について詳しいウクライナのある有名ジャーナリストから「ゼレンスキー大統領室のある人物が鍵を握っているようだ」「北朝鮮軍捕虜に会うため世界の複数の有名メディアがしつこく彼に接触しているが、彼は全く動じない」などの話も聞いた。数々のアドバイスや支援の一つ一つが足がかりになり、また橋渡しにもなった。
ついにウクライナ軍幹部と会う機会が得られた。この幹部と話をする中で「北朝鮮軍派兵の事実を認めない韓国人もいる」と伝えたところ「ここにわれわれが生け捕りにした捕虜がいるのに、どういうことか」と驚いた様子だった。彼は隣にいた副官と言葉を交わした上で「直接捕虜に会ってみるか」「今日は難しそうだが、連絡するので少し待っていろ」と言ってきた。このようにして最後のハードルを越えた。
2人の北朝鮮の青年に会う際にはフランスのパリから空輸したキムチカップラーメンとチョコパイを持っていった。捕虜収容所のドアの前には国際赤十字社の関係者がロシア軍捕虜に会いに来ていた。彼らの手には数々の食糧に加え「ラッキーストライク」というたばこが数十カートンあった。「たばこも持ってくればよかった」と思った。
しばらく待機してから北朝鮮の若者2人についに会えた。そのベッドの頭の部分には予想通り白い紙コップの灰皿が大切に置かれてあった。ここ1カ月でかなり多くのたばこを吸ったのが一目で分かった。突然やって来る負傷の痛み、すぐ横で死んでいった仲間の兵士の記憶、捕まったら自爆せよとの命令を守れなかった恐怖、息子を戦場に送りその後何も知らされていない両親への思い…。夜になるとこれら全ての苦痛が一気に頭をよぎるだろう。そんな時は一本のたばこがどれほど恋しくなるだろうか。
ラーメンと菓子が入ったかばんは看守に渡すしかなかった。たばこも少し入れてほしいと頼んだ。北朝鮮軍兵士には「一切何も考えず、まずは体を回復させることに集中しましょう」と声をかけた。2人はうなずき「もしまた来られるのなら、外の様子について知らせてほしい」と言ってきた。
韓国ではどこにでもあるたばこ、ラーメン、チョコパイ。しかし韓半島から7000キロ離れた欧州の戦場で、いつ死んでもおかしくない状況を何度も乗り越えた2人の若者には、これらが「生きること」の大切さを伝えるわずかな慰めになるかもしれない。彼らには繰り返し生きることへの希望を、またより多くの北の若者たちに死ではなく命の大切さを伝える機会と考えるなら、これだけで捕虜収容所にいる2人の若者に万難を排してでも会う十分な理由になったはずだ。
パリ=鄭喆煥(チョン・チョルファン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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