尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権がわずか3年で幕を閉じた理由は、直接的には12・3戒厳宣布による弾劾が憲法裁判所で認められたからです。けれど、振り返ってみるに…一体どうしてこうなったんでしょう? 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権以降の「終わった政権」について学界の公式な、最初の評価を行う本があります。韓国政治学会の会長や国立立法調査処長などを歴任した沈之淵(シム・ジヨン)慶南大学名誉教授(77)の『韓国..
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尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権がわずか3年で幕を閉じた理由は、直接的には12・3戒厳宣布による弾劾が憲法裁判所で認められたからです。けれど、振り返ってみるに…一体どうしてこうなったんでしょう? 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権以降の「終わった政権」について学界の公式な、最初の評価を行う本があります。韓国政治学会の会長や国立立法調査処長などを歴任した沈之淵(シム・ジヨン)慶南大学名誉教授(77)の『韓国政党政治史』(白山書堂刊)です。
【表】尹大統領の弾劾審判 憲法裁判官8人の判断
李承晩(イ・スンマン)政権から現在までの韓国政党政治の歴史を叙述した同書は、2004年に初めて出版された後、これまで五つの増補版が出ました。盧武鉉、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クンヘ)、文在寅(ムン・ジェイン)政権が終わった後、すぐに1章ずつ追加したからです。そうして最近出版された増補5版では、第15章「尹錫悦政権下の政党構造分析」を新たに加えました。
沈之淵名誉教授は尹錫悦政権について、一言で「内部分裂で崩壊した政権」と評しました。「1948年の大韓民国樹立以降、こんな形で倒れた政権は初めて」とも述べました。
沈名誉教授が同書で主張してきた「韓国政党政治を貫いてきた理論」は「分裂と統合の政治」でした。簡単に言うと「集まれば生き、散らばれば死ぬ」「集まった側が散らばった側に勝つ」「常に、より劣っている側があまり劣っていない側に負ける」というものです。韓国歴代の全ての選挙において、この原則は、これまで一度も外れたことがないのです。昨年の第22代総選挙と今回の第21代大統領選挙も同様でした。
要約すると、尹政権は2023年10月のソウル江西区庁長補欠選挙のときから民心をきちんと読み取れていない兆候を示し、昨年4月の総選挙直前に決定的な亀裂が生じました。「韓東勲(ハン・ドンフン)非常対策委発足時に大統領がその要求を受け入れていれば、弾劾まではいかなかっただろう」といいます。「固執したら総選挙で負けると分からなかったはずがありません。選挙よりも自分の家族の方が大事と判断したと見るほかないですね」
(申し訳ありません。ここまで書いて、あらためて、あまりにも痛憤がこみ上げ…。ちょっと息抜きをして、再度ノートパソコンの前に座ります。アイゴー!)
今回の増補5版の序文で、沈之淵名誉教授はこのように語っています。
「総選挙の惨敗後も(当時の保守系与党)国民の力は、内部の分裂を克服して統合のために努力するより対立と反目に没頭した。これにより21代大統領選挙での勝利を図り難い局面に置かれることとなった。それに加えて、尹錫悦が『統治行為』という名目で非常戒厳を宣布するという無理な手を打った上、国民の力所属議員の相当数がこれに同調した影響で、国民的な怒りを招いてしまった」
「そして大統領選挙候補予備選の過程で発生した党内の対立と反目を解消できず、世論から厳しい目で見られることにもなった。それだけではない。候補の予備選後も非常識なやり方で候補の交代を試みようとしたのをはじめ、候補一本化問題を巡って統合を実現できない状態で大統領選挙に臨んだ。こうした幾つもの要素が複合的に作用し、国民の力は大統領選挙でも敗北することになったのだ」
「政党政治そのものが離合集散を無限に繰り返す構造へと変質し、ブラックホールのように全てのイシュー(論点)を吸い込み、政党の政綱・政策の提示が無意味なものになってしまった。従って、政治発展を成し遂げるためには、政党と政治家間の離合集散の環を断つことが最も重要な課題だと言える」
インタビュー中、沈名誉教授は「今、韓国政治を脅かしているものの一つがまさに比例代表制」と語りました。比例代表制はもともと(1961年、当時の朴正煕〈パク・チョンヒ〉陸軍少将による)5・16クーデター直後、第3共和国が発足する過程で共和党創立勢力が、旧民主党新派・旧派が統合できないように誘導する高度な術策でした。ところが今では、学界・労働界・言論界・市民団体など韓国社会の各界を政治の場へと追い立てる否定的な役割を果たしているのです。
沈名誉教授が同書でもう一つ強く批判しているのは「尹錫悦・前大統領弾劾の過程で憲法裁判所が犯した明白な過ち」です。これは増補5版991ページに記述されています。
「(2025年4月4日の尹錫悦大統領罷免)宣告後、文炯培(ムン・ヒョンベ)=当時の憲法裁判所長権限代行=は、時間が少しかかってでも全員一致をする方がよいという考えで熟考の時間が長かったと言い『少数意見もできる限り多数意見として盛り込むために調整した』と明かした。(原注:文炯培は『裁判官8人の意見が一致しなければ極度の混乱と不安を避けられないだろう』『裁判官同士で意見の差が存在する状態では国民を説得し難いという考え』だったと述べ『万一、何対何で出た場合はと思ったが、その少数意見をもって多数意見を攻撃するから、調整』したと、調整したことを認めた。こうした発言は、法理的判断ではなく政治的および社会的問題に対する考慮から裁判官間の調整を通して満場一致を誘導したという趣旨として解釈し得る)」
「これは、裁判官の間に意見の差があったにもかかわらず全員一致にするため『調整』をしたことを認める発言で、『裁判官は憲法と法律によって良心に従って独立して審判する』という憲法裁判所法第4条に背く内容だと言える。この条項が、外部はもちろん内部的な圧力からも独立的であるべきで、各自が自身の法的信念と良心に従って判断すべきことを明示しているにもかかわらず、全員一致のための調整をしたと判明したからだ」
兪碩在(ユ・ソクチェ)歴史文化専門記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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