在日韓国人社会のリーダーだった故・李熙健氏(上)

在日韓国人社会のリーダーだった故・李熙健氏(上)

 23日午前、ソウル市の南大門に面した新韓銀行本店の大講堂。株主総会の終了間際、新韓金融持株の韓東禹(ハン・ドンウ)新会長が「誠に残念で悲しい知らせがある」と述べ、李熙健(イ・ヒゴン)新韓金融グループ名誉会長が21日、老衰のため大阪市内の病院で死去したことを告げた。93歳だった。約500人の株主や社員らは沈痛な面持ちで黙とうをささげた。すすり泣く声も聞かれた。

 李名誉会長の訃報を2日後に明らかにした理由について、韓会長は「株主総会が終わるまで絶対に公表するな」という故人の遺志に従ったと説明した。新会長による新体制発足を祝うムードが損ねられ、社員が対応に追われるのを懸念した上での配慮だった。

 李名誉会長は、新韓銀行の創業者で在日韓国人社会の中心的存在だった。1917年に慶尚北道慶山郡(現在の慶山市)の貧しい農家に6人兄弟の次男として生まれ、1932年に15歳の若さで単身日本に渡った。単純労働をしながら、懸命に勉学に励み、明治大を卒業した。その後、1945年に大阪で自転車タイヤの商売を始めた。30歳の時に在日韓国人の商業関係者の権益保護を目的とする「商店街同盟」という共済組合を設立し、初代会長に就任したことで、在日韓国人社会のリーダーに浮上した。1955年には日本の銀行から資金の借り入れが困難な商業関係者のために大阪興銀を設立した。そして約20年かけて、日本最大規模の信用組合となる関西興銀へと成長させた。

 李名誉会長は、日本での成功に満足せず、母国の経済発展にも強い関心を示した。1974年には母国への投資を希望する在日韓国人を集め、在日韓国人本国投資協会を設立し、初代会長に就任した。1977年には在日韓国人系の短資会社、第一投資金融を設立し、会長職を務めたほか、ゴルフ場の第一カントリークラブの設立も主導した。

 そして、1982年には日本全国の在日韓国人約340人から250億ウォン(現在のレートで約18億円)の出資金を集め、韓国初の民間銀行、新韓銀行を設立した。銀行設立にまつわる有名なエピソードがある。当時の出資金には、日本側で税金を支払っていない「ブラックマネー」も多かった。李名誉会長と在日韓国人株主は、日本の税関による追跡を避けるため、出資金を全て現金に変え、かばんに詰めて韓国に持ち込んだという。

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