■南北関係
盧元大統領は、88年の就任直後、ジェームズ・リリー駐韓米国大使やルイス・メネトレー米第8軍司令官から「韓国に(米軍の)戦術核があります」という報告を受けた。米国側は、事前に「極めて重要な報告がある。金宗輝(キム・ジョンヒ)外交安保首席が直接通訳を行い、ほかの人は陪席させないでもらいたい」と要請した。米国はその時まで、在韓米軍の戦術核について肯定も否定もしない(NCND)立場を取っていた。盧元大統領は「メディアでは、核兵器が数カ所に配備されているかのように報道していたが、実際には1カ所だけだった」と明かした。
盧元大統領は91年秋、金宗輝外交安保首席から「米国が、世界各地に配備した戦術核兵器を撤去する方針を立て、韓国国内の戦術核兵器もじきに撤去するようだ」という情報報告を受けた。盧元大統領は「北朝鮮が核兵器を作れないようにして、韓国が主導権を握るため、先手を取らなければならない」と考え、11月8日に韓半島(朝鮮半島)非核化宣言を発表した。
南北首脳会談について、故・金日成主席は終始消極的だったが、ただ一度だけ、盧元大統領を北朝鮮に招いたことがあったという。92年春、祖国平和統一委員会(祖平統)の尹基福(ユン・ギボク)委員長が、金日成主席の特使として親書と招請状を持ってソウルにやって来た。しかし招請の時期が金日成主席の誕生日に合わせてあり、体育青少年部(省に相当)の朴哲彦(パク・チョルオン)長官(当時)が「カネと関係がある」と言ったため、盧元大統領は招請を拒絶した。盧元大統領は「体面を汚してまでやることではない」と語った。