東学農民革命記念日をめぐる地域間の対立(上)

 郡守・趙秉甲(チョ・ビョンガプ)の暴政に耐えかねた農民たちが立ち上がり、郡の庁舎を襲撃した「古阜蜂起」(2月15日)。東学農民軍が倡義布告文を発表し、初めて組織的に隊伍を組んだ「茂長起包」(4月25日)。東学軍が官軍を相手に初めて大勝利を収めた黄土ヒョン(ヒョンは山へんに見)の戦い(5月11日)。全羅道の監営(道を統率する観察使が執務を行う役所。道庁に相当)があった全州城の占領(5月31日)。外部勢力を背にした官軍に東学軍が敗退した牛金峙の戦い(12月5日)。

 これらは1894年、封建制度を改革し外部勢力の侵略から国権を守ろうと東学農民軍が決起したことで起こった、東学農民革命(甲午農民戦争)の主な事件だ。この中から東学農民革命の国家記念日を指定するとなれば、どの事件を基準にすべきだろうか。国家記念日の指定をめぐり、全羅北道高敞・井邑、忠清南道公州など各地の東学記念団体が、それぞれ自分の地域で起こった事件を基準に記念日を指定しようと動き始めた。

 昨年2月、文化体育観光部(省に相当)の特殊法人「東学農民革命記念財団」が設立され、東学農民革命の国家記念日を指定しようという論議が浮上した。井邑市の各東学記念団体は、黄土ヒョン(現在の井邑市徳川面)で東学軍が初めて大勝利を収めた日を基準に、記念日を制定しようと主張した。井邑東学農民革命継承事業会のシン・ハムシク執行委員長は「黄土ヒョンの戦いは、東学軍が官軍との対決で初めて勝利を挙げ、革命の炎が韓国全土に広がる契機となった」と語った。井邑は1968年から東学農民革命記念祭を開催しており、現在では、黄土ヒョン東学祭りなどさまざまな関連イベントを催している。

 これに対し高敞郡の各東学関連団体は、輔国(護国)安民の立場を掲げて農民軍組織を整えた、茂長県(現在の高敞郡茂長面)での「茂長起包」の日を基準にしようと主張した。高敞東学農民革命記念事業会の会長を務める李康洙(イ・ガンス)高敞郡守は「多数の歴史学者が、茂長起包の日を東学農民革命の出発点と見なしている」と語った。高敞も、茂長起包記念祭など東学関連の地域イベントを開催している。

 全州市の各東学関連団体は、湖南(全羅道地方)の中心地に当たる全州城の占領日を、忠清南道公州市の各団体は、牛金峙(現在の公州市金鶴洞)の戦いを記念日に指定するよう要求した。こうした中、同じ地域内で意見が対立するという極端なケースもあった。井邑市梨坪面の東学関連団体は、黄土ヒョンの戦いの日ではなく、古阜蜂起の日を記念日に指定する案を推進している。東学農民軍の指導者チョン・ボンジュン将軍が古阜蜂起を決議した場所が、梨坪面にある牧場だからだ。

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