三豊百貨店崩壊事故から20年、未だ定着しない現場中心主義

指揮官になった当時の消防隊員、現在の対処の方式に苦言
「地位の高い人よりも、仕事を最もよく知る専門家に任せるべきだ」

三豊百貨店崩壊事故から20年、未だ定着しない現場中心主義

 20年前の6月29日、ソウル市江南地区の中心部にあった三豊百貨店が倒壊し、508人が死亡、936人が負傷した。この事故をきっかけに「災難(災害)管理基本法」が制定され、中央119救助隊(現・救助本部)が創設された。消防隊員たちは当時、2週間もの間、消防車の下に薄い毛布1枚だけを敷き、背中を丸めて雑魚寝しながら、捜索・救助活動に当たった。この隊員たちは今、多くが幹部になっている。

 三豊百貨店倒壊事故から20年を迎えるに当たり、本紙が取材した「消防三豊世代」は「救助・救難作業の際、現場の専門家を中心に対処するという原則がこのときから強調されるようになったが、依然として根を下ろすことができていないようだ」と口をそろえた。

 事故当時、江原道春川消防署から派遣されたナムグン・ギュ消防官は今、同道高城消防署の署長を務めている。ナムグン署長は「三豊事故は消防当局の成功と失敗が入り混じった現場だった。事故発生当初には現場での指揮・統制が不十分で右往左往するなど、失敗した様子を見せたが、時間がたつにつれてうまくいくようになった」と語った。

 当時、ソウル市の道峰消防署消防係長として、3週間にわたり現場の統制を担当したパク・チョンウン全羅南道消防本部長は「事故発生後のある時点から、専門家たちが現場の指揮について権限や責任を持つようになり、順調に進むようになった」と話した。地位の高い人ではなく、「その仕事」が最もよくできる現場の専門家たちを見つけ、権限を与え、残りの人たちはそれを補助するという役割分担ができるようになって、事故の収拾に向け順調に進んだというわけだ。

 仁川消防署に勤務し、事故翌日から現場に派遣されたキム・イルス京畿北部災難安全本部長は「米国で国家的な災害となった9・11同時多発テロの当時、ニューヨーク市の消防責任者が全体の事故収拾責任者を務めた例と同じように、20年前の三豊百貨店で得た教訓は、災害の管理は現場で指揮を執ること、中央省庁は現場の作業が順調に進むよう支援しなければならないということだ」と語った。

 三豊百貨店の事故当時、救助隊員として活動した、ソウル陽川消防署のペク・クンフム署長は「中東呼吸器症候群(MERS=マーズ)のような感染症が発生した場合には、疾病管理の専門家たちに確実に権限を委任し、消防や救助などの専門家はその指示に従って一心不乱に動くべきだ。現場を離れている人たちが十分にできないようなことも「すべて任せた」と言うようなことは、聞こえのいい話に過ぎない」と話した。

 今回取材した消防関係者たちは、2011年に米国のオバマ大統領が、ウサマ・ビンラディン殺害作戦を決行したとき、ホワイトハウスの状況管理部門のトップとして合同特殊作戦司令部のマーシャル准将を任命し、自らはその横に座っている場面を見て、他国の災害対応の理想的な姿を見たと話した。「消防三豊世代」も「空軍の准将に責任者の地位を与えた大統領の姿から、現場をどれだけ重視しているかを知ることができるのではないか。安全は現場で始まるという点を忘れてはならない」と語った。

オム・ボウン記者
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