閔妃追悼行事、涙ながらに許し請う日本人たち

「100回足を運んで謝罪しても不十分」

閔妃追悼行事、涙ながらに許し請う日本人たち

 8日、明成皇后(日本では閔妃)殺害から120年となる「忌晨祭」(年忌に行う追悼行事)が行われた京畿道南楊州市内の「洪陵」。明成皇后の墓があるこの場所で、日本人の甲斐利雄さん(86)は忌晨祭の間ずっと、亡くなった河野龍巳さんの写真を持って立っていた。写真の河野龍巳さんは1895年10月8日に明成皇后暗殺事件を主導した人物の一人、国友重章(1861-1909年)の孫だ。河野さんは10年前の2005年に洪陵を訪れ、明成皇后の墓前で「私も罪人だ」と涙ながらに許しを請うたが、3年前に亡くなった。このため、熊本県出身の元教師・現職教師らからなる「明成皇后を考える会」のメンバーたちが写真を持ってやって来たのだ。

 この団体は2005年から11年にわたり毎年、明成皇后暗殺事件が起きた10月8日に合わせて洪陵を訪れ、謝罪している。04年に団体結成を主導したのが甲斐さんだ。英語教師だった甲斐さんは「日本の教科書や新聞では、明成皇后どころか『閔妃』という字も見当たらない。恥ずべき歴史を反省せず、隠すことにきゅうきゅうとしている日本の教育を変えなければならない」と言った。甲斐さんは30歳の時、自身の教え子だった在日韓国人の生徒から「明成皇后暗殺事件について知っているか」と聞かれ、初めて先祖の恥ずべき歴史を知った。1989年に教職を退き、乙未事変(明成皇后暗殺事件)について学ぶうち、暗殺に加担した48人のうち21人が自身の故郷・熊本県出身であることを知って驚いたという。

 こうした人々の努力により、明成皇后暗殺事件を謝罪する日本人が増えている。忌晨祭に出席したメンバーは05年の10人から今年は28人に増え、さらに日本各地から来た日本退職教職員委員会の会員40人も参加した。甲斐さんは「日本には『現場100回』という言葉がある」と言った。真実に近づきたいなら、現場に100回以上足を運ばなければならないという意味だ。そして、「真心も同じだ。謝罪する気持ちを正しく伝えるには、100回足を運んでも不十分だ。死ぬまで毎年、この日に韓国に来るだろう」と語った。

チェ・ウンギョン記者
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