【萬物相】「世界遺産」登録競争

【萬物相】「世界遺産」登録競争

 数年前、ソウル市城北区が弥阿里(ミアリ)峠を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録しようと動いたことがある。同区の区長は当時、「悲劇と平和が共存する弥阿里峠は、世界と共有するだけの価値が十分ある」と言った。しかし、弥阿里には6・25(朝鮮戦争)時の「涙の別れの峠」を物語る痕跡が残っていない。交戦の痕跡、北朝鮮に拉致された人々が引きずられていった黄土の道、避難民の粗末な小屋…。何をもって申請し、何を保存しようというのかとの批判が巻き起こると、いつの間にか登録を目指す話は消えていた。

 ユネスコはその年、日本が申請した歴史地区の鎌倉を脱落させた。800年の歴史を持つ鎌倉は、京都・奈良と共に日本が50年前から特別法を作って保護してきた由緒ある町だ。1992年の世界遺産条約加盟以降、初の脱落ということで日本人の失望は大きかった。ユネスコは脱落理由について「日本以外における顕著な普遍的価値を証明できない」と説明した。

 ユネスコ世界遺産制度は1972年に始まった。60年代末にエジプト政府がナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設する際、古代遺跡が水に浸かることになった。世界的な保存運動が巻き起こり、アブ・シンベル神殿を解体・移転することになった。これを契機に、滅失の危機にさらされている文化遺産のリストを作成、人類共通の保護努力を傾けようという協約が結ばれた。このため、見方を変えると、リストに名前がよく挙がる国ほど文化財保護が脆弱(ぜいじゃく)な国ということになる。

 もちろん現実的にはそうではない。文化遺産登録は、各国の自負心を競い合う場のようになっている。ひとたび登録されれば、観光収入が増えることも無視できない。韓国では95年に石窟庵・仏国寺が登録されて以降、これまでに11件が登録された。比較的高い「出塁率」だ。ところが、今回は壁にぶつかった。今年登録を申請した「韓国の書院」は脱落に相当する「defer(登録延期)」と評価された。

 韓国の文化遺産の中でも、書院はそれなりによく保存されている方だ。旅行中に書院に立ち寄ると、優れた景色や建築美、ソンビ(学者)たちの高潔な精神世界が感じられる。このような遺産を申請して「卓越した普遍的文化的価値」を認められなかったら、準備や戦略に重大な問題があったと言わざるを得ない。登録遺産は1000件を上回り、ユネスコの審査もますます厳しくなっている。「1件やろう」という考えから脱し、本当に文化と子孫のためになるよう発想を変える必要がある。春の日差しが輝く慶尚北道安東市の屏山書院の晩対楼に上がり、洛東江に映る山影を見てみたい。

金泰翼(キム・テイク)論説委員
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