国立の公演場として2000年に完成した国立文化会館は、中国政府が巨額の支援を行ったことで建設が可能だった。12年のメコン河管理事業は、韓国企業の参加で実現した。ビエンチャン市内の新しいバスは、日本の支援を受けたことを示すため、側面に日の丸を描いて走っていた。市民は、政府関係者の会議の場面ばかりを一日中流す面白くないラオス放送ではなく、隣国タイやベトナムの電波を拾ってテレビを見ている。
「小さな国と少ない民」を意味する老子の「小国寡民」は、文明の発展なき無為と無欲で実現する、道家的な理想社会だ。人口690万のラオスは、共産主義革命後およそ40年余りにわたり、停滞と隠遁(いんとん)の中で「小国寡民」に似た社会を維持してきた。しかし、開放のせきが切られた今、ラオスもまた変化を避けることはできない。国民1人当たりの国内総生産(GDP)が1865ドル(約20万6000円)、期待寿命が60代前半、識字率が70%台といった数字は、過去の長きにわたる「無欲」と「平和」が生んだ副作用だ。そして今、その停滞の代償を、耳をそろえて支払う羽目になっている。
ラオスの状況は、韓国の姿を思い起こさせた。過去半世紀で韓国は急速に成長し、産業・教育・医療・文化など各方面で、ラオスのような開発途上国のベンチマーク対象となった。その一方、超高速成長の副作用として、無欲の代わりにありとあらゆる欲望がはびこる、疲れた社会になったことも事実だ。だからといって、「ヘル朝鮮」(hell〈地獄〉と朝鮮の合成語)、「泥のスプーン」(不平等の最下層という意味)と叫び、ちょっと立ち寄ったラオスを楽園か理想郷のように見なすのはおかしい。そこで少し休むとともに、停滞を警戒する「他山の石」にするのであれば話は別だが。