【コラム】ドーピング朴泰桓の敗者復活戦

 残業を終えて帰宅し、テレビをつけた。「すぐ寝てね」と言っていた妻が、テレビ画面に登場した選手を見て隣に座った。「ああ、朴泰桓(パク・テファン)ね。まだ選手をやっていたの?」。

 ハンガリーで行われている世界水泳選手権の男子自由形400メートル決勝。朴泰桓は世界のトップクラスの選手たちに混じり、水を力強くかき分けた。スタートは良かった。2004年のアテネ五輪でフライングによりレースができないまま失格になって以来、猛特訓で鍛え上げた泳力はそのままだった。しかし、時間が経つにつれてペースが下がり、結局メダルには届かなかった。妻は残念がりながらも、「それでも4位なら頑張った方じゃない? あの年齢ですごいわね」と感心した。

 朴泰桓は先月26日未明に行われた自由形200メートル決勝にも出場したが、8人の中で最後にゴールした。

 朴泰桓は世界のトップクラスとは程遠かった韓国の競泳を世界に知らしめた先駆者であり、その頂上に立った支配者だった。08年の北京五輪で韓国競泳史上初の金メダルを取った時の感激は、多くの国民がついこの間のことのように覚えている。ところが、4年後のロンドン五輪では中国の孫楊など若手選手たちに圧倒されて銀メダル2個にとどまり、逆風にさらされた。さらに、その年のドーピングテストで薬物を服用していたことが発覚、国際水泳連盟(FINA)から1年6カ月間の資格停止処分を受けた。朴泰桓は「薬(ヤク)泰桓」と呼ばれた。昨年3月に懲戒処分が終わってからも、大韓体育会との間で法的な争いを繰り広げることになった。そうした紆余(うよ)曲折の末、リオデジャネイロ五輪の舞台に立ったものの、彼に向けられる視線は温かいものばかりではなかった。「不祥事を乗り越えて再びメダルを取ってほしい」と願う人もいれば、「薬物を服用した選手がなぜ韓国代表になるのか」という否定的な見方をする人もいた。

スポーツ部=姜鎬哲(カン・ホチョル)次長
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