【寄稿】「国民情緒」という名の打ち出の小づち

 留意すべき点は、あらゆる場所で同じような暴力的事態が繰り広げられていたわけではなく、一部地域で極めて深刻に起きていた、という事実だ。そうした場所は、「正しい」という意思に満ちた政治・宗教エリートが支配していたという特徴がある。ドイツのハンブルクが代表的なケースだ。この小さな都市では、1617年の1年だけでも102人を火あぶりにして殺したが、さらに魔女委員会という特別機関を作り、1626年から30年にかけて630人を逮捕し、拷問にかけた末、その大部分を火あぶりに処した。こういう時代には、火の粉がどこへ飛ぶか、誰がいつ犠牲になるか、誰にも分からない。最初は貧しく無力な庶民が主に犠牲となったが、ある段階に至ると、誰も安全だと断言はできなくなる。甚だしくは、きのうの裁判官がきょうは魔女、魔術師として追われ、処刑されかねない。支配者の「正しさ」に満ちた行為に異議を唱えるのは、命懸けの危険なことだった。強固な信仰心とドグマにとらわれた支配層が、この上なく熱くなった民衆のエネルギーを利用してさらに追い込んでいこうとするとき、最悪の事態が展開する。神聖かつ清らかな国をつくろうと思ったら、不浄な罪人たち、そしてあえてこれらの肩を持つ不良な背信者たちをきれいさっぱり一掃しなければならないからだ。

 18世紀を過ぎると、魔女狩りは欧州の大部分の国で終息した。誰かを悪魔の手先である魔女として追い、処刑する、文字通りの魔女狩りは消えた。だが似たような現象は、その後も姿を変えて別の形で繰り返し現れた。社会的・政治的対立を、いかなる方式にせよ解消すべき必要があるとき、悪魔化された敵が必要になるからだ。ユダヤ人を集団虐殺したヒトラー体制がその代表例だ。

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