【萬物相】挺対協30年

【萬物相】挺対協30年

 1991年に故・金学順(キム・ハクスン)さんが記者会見を開き、自らが日本軍慰安婦だったことを初めて証言したとされているが、実際はその16年前にペ・ボンギさんが告白していた。ペさんは1943年「寝ているだけで口にバナナが落ちてくるところに行く」という言葉に惑わされ、沖縄に行き慰安婦生活を強要された。光復後も沖縄に残ったペさんは、1972年に米国が沖縄を日本に返還した際に日本での永住権を申請した。それには1945年8月15日以前に慰安婦として日本に入国した事実を明らかにしなければならなかった。この事情が日本の新聞に報じられたのが1975年だ。

 日帝は1943年に梨花女子専門大学の1年生全員から「挺身(ていしん)隊選抜同意書」を回収した。これから逃れるには学校を退学するしかなかった。梨花女子大学の尹貞玉(ユン・ジョンオク)名誉教授も当時、退学届を出した学生の一人だった。ペさんの話を知り、1970年代の中ごろから慰安婦に関する研究を始めた尹名誉教授は、日本、中国、タイ、ミャンマーなどを回りながら100人の元慰安婦に会い、1988年に韓国教会女性連合会主催のセミナーで慰安婦の実情を韓国国内に初めて伝えた。

 尹名誉教授は1990年、韓国挺身隊問題対策協議会を立ち上げて初代代表を務め、翌年には金学順さんの証言を引き出した。当時は挺身隊と慰安婦は混同されていた。労働が搾取されていた挺身隊と、性搾取された慰安婦を分けて定義するに当たっても挺対協の努力があった。「性奴隷」や「強姦(ごうかん)被害者」という表現がより適切という主張もあったが、女性たちの反対で公式化されなかった。

 挺対協の会員たちは1992年1月8日、日本の宮沢喜一首相(当時)の来韓を1週間後に控えて日本大使館前に集まり「日本政府は挺身隊犠牲者慰霊碑を建立せよ」と叫んだ。先週1439回目を迎えた水曜集会の始まりだった。挺対協の水曜集会は全世界に日本の蛮行を伝える役割を果たした。国連をはじめ米国、カナダ、欧州議会で日本政府の謝罪と法的賠償を要求する決議案が採択された。米国は慰安婦問題を「20世紀最大の人身売買事件」と規定した。

 挺対協は2018年「日本軍性奴隷制問題解決に向けた正義記憶財団」と統合し、今の「正義記憶連帯」となった。ところが最初の水曜集会当時から挺対協の活動を続け、代表まで務めた尹美香(ユン・ミヒャン)氏の行動が問題となり国民が怒っている。被害を受けたのは慰安婦女性たちであるにもかかわらず、自ら金を使い国会議員になったおかしな人物だ。日本人たちはこれを見て何というか、嘆かわしいことだ。

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)論説委員

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