【コラム】康京和外相のしゅうとの「親日派」恩師

 だがこの過程で総督府に出入りした校長を巡り、一部では彼を「親日派」だと指弾した。校長は、早くから三・一運動の民族代表48人中の1人として参加したほど独立運動に人生を懸けた人物だった。だが民族資本で立てた学校を劣悪な環境の中でなんとか維持し、生徒たちを勉強させるため、校長は泥沼のような現実に足を突っ込むしかなかった。すさまじい剣幕の総督府と難しい交渉を繰り広げる校長をけなす人はいたが、肝心の彼の仕事を代わりに務めようという人はいなかった。校長の名は、2009年に『親日人名辞典』に載った。

 李気乙教授は、85歳だった2008年に母校を訪れ、「(あのときこの学校と先生が自分を)総督府の退学処分から守ってくれなかったら、こんにちの自分はなかっただろう」として少なからぬ額のお金を寄付した。こうしてその校長先生の名前を付けて作ったのが「玄相允奨学金」だ。玄相允(ヒョン・サンユン)は親日派なのだろうか? さもなくば、親日派という指弾を進んで甘受しつつ抗日・国益の未来世代を育てた殺身成仁の教育者なのだろうか?

 日帝が朝鮮を強占していた年数だけでも36年になる。この歳月を生きた朝鮮人の大部分の生きざまは、親日と反日の二分法で分かつにはあまりにも複雑極まりないものだった。今の韓国人が知らないだけで、第2、第3の玄相允は数知れぬほど大勢いるのだろう。解放75年が過ぎた今も、故人の表面的な揚げ足を取って「親日派」「土着倭寇(わこう)」と追い立てる人が、われわれの周囲には依然として多い。韓国外交を引っ張る康京和外相も、「抗日」のしゅうとを守った恩師を単に「親日」と一刀両断するだろうか。

ノ・ソクチョ記者

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