イ会長は「キム隊長は今日午前9時58分ごろ(現地時間)、無線で隊員らに自分で救助要請を行った」「近くを通った海外の登山隊が事故現場に向かっている」とも伝えた。キム隊長と海外の登山隊の距離は人間の声で直接意思疎通が可能なほどだったという。光州障害者体育会の関係者によると、海外の登山隊はキム隊長にロープや登降機(固定されたロープを使って上り下りを支援する登山用器具)などを下ろして引き上げようとしたが、ロープが切れてさらに深みに落ちたという。ある山岳関係者は「もっと深みに滑落していないとしても、キム隊長は低体温症や酸素不足で意識を失った可能性が高い」とコメントした。
キム隊長は2015年にもブロードピークに挑戦したが、7600メートル地点で悪天候によりやむなく下山した。昨年も登頂の準備を進めていたが、コロナの感染拡大により挑戦を延期した。今回は登頂に成功した後に事故に遭った。
1983年に大学の山岳部で登山を始めたキム隊長は1991年、北米最高峰のマッキンリー(6194メートル)単独登頂に挑戦した際、重い凍傷で10本の指を失ってしまった。病院で7回移植手術を受けたが、最終的に障害が残ってしまった。
キム隊長は障害を持つようになってからもアルペン・スキーに転向し、1999年に初めて韓国代表として2002年のソルトレークシティー冬季パラリンピックに出場した。その後2009年に南極最高峰のビンソン・マシフ(4897メートル)登頂に成功し、世界7大陸の最高峰全てに登頂した。さらに今回の登頂でヒマラヤ14座完登記録を打ち立てた。