金メダルをゴミ箱に捨てた韓国系米国人クロエ・キム、また金メダル(下)

 クロエ・キムは2018年の平昌冬季五輪終了後、引退を考えた。13歳の時から始まったプロスノーボーダー生活と平昌大会を通じて得た名声による弊害は、他人に煩わされるのが嫌で、自由奔放な性格の彼女には合わなかった。北京五輪前の米誌タイムとのインタビューでは「平昌五輪直後、カリフォルニアでリラックスして部屋着姿でサンドイッチ店に入ったら、みんなが私のことをじっと見たので、店を飛び出したことがあります」と打ち明けた。

【写真】スノボ女子HP2連覇クロエ・キム、銅メダル冨田せな

 「私のことを好きになり、応援してくださることについては感謝しています。でも、私はただ、その時私がどんな目に遭ったのかみんなに理解してほしいんです。私は悪い×(bitch=女性に対するののしり言葉)ではありません。ただ、そこのハムチーズサンドイッチが買いたかっただけなんです」

 人種差別に対する恐怖にもクロエ・キムの心は折れた。「家の外では両親に対しても韓国語では話さず、護身用の武器を身に付けていました」。足首をいためて1年10カ月間ボードに触れず、「平凡な人生」を生きたいと思って米プリンストン大学に進学した。家も一軒買ったという。だが、昨年初めに復帰した。米紙ニューヨーク・タイムズは「クロエ・キムは少々嫌がりながらも五輪のサイクルに再び身を投じた」と伝えた。長い空白と彷徨(ほうこう)があったのにもかかわらず、彼女の実力は依然として世界最高だった。

 「今後も五輪に出場するのか」という質問に、クロエ・キムは「これは本当につらいスポーツだということをみんな知るべきです」と答えた。

 「これから五輪にどれだけ多く出られるのかは分かりません。私のメンタルとフィジカルにかかっています。家族の血と汗と涙と大きな犠牲もありました。簡単なことではありません。1回尻もちをついたら三日間は痛いんです。何よりも自分の健康を優先して、じっくりやって行くと思います」。

キム・サンユン記者

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