「看羊録」は朝鮮王朝時代の儒学者、姜沆(カン・ハン)が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に日本に連行された際に経験した苦難の体験記だ。ところが、当時首都だった京都に対する記述には感嘆が込められている。倭人が珍しい物を好み、通商を立派なことだと考えていること、あらゆる技術に加え、必ず天下一の物を作り上げ、そうした品物を金銀で高値で取引する慣習があること、そして、日本市場が朝鮮で知られているよりもはるかに大きいことだった。
日本の「天下一」への執着は近代以降さらに強くなった。紡織、鉄鋼、造船、鉄道、機械、光学をはじめ、戦闘機、空母などの兵器産業でも世界最高の物を作った。戦後には電子・自動車産業で頂点に立った。一時はスポーツ用品までも席巻した。何でも天下一に到達しなければ気が済まない国民性だ。世の中が「アナログ」に留まっていたならば、日本の相手になる国はドイツぐらいしかなかったはずだ。
中でも日本人の長所が最も凝縮された製品が自動車だという。長期不況以降、日本の産業は大半が不振だったが、自動車だけは今でもトップだ。トヨタ、ホンダ、日産、マツダなど7つの世界的ブランドが国内で争っている。ところが、日本の国内需要は長期不況と高齢化で30年前の60%にまで落ち込んだ。高齢者の自動車離れは「卒車」という新語まで生まれるほどだ。若者の自動車離れが起きてからは20年以上が過ぎた。それだけに日本市場は世界で最も競争が激しい「レッドオーシャン」と言われる。世界の「クルマの墓」と呼ばれて久しい。
現代自動車がこのほど、そんな日本市場に参入すると発表した。電気自動車(EV)と燃料電池車など次世代カーをオンラインで販売する構想だ。新たなチャレンジと言える。日本の自動車市場の現実を知らないはずはないのに進出するのは、日本の自動車市場が世界で最もレベルが高く、複雑な市場だからだという。BTS(防弾少年団)が米国に向かうように、自動車は日本市場で認められてこそ世界最高だ。日本市場で競争すること自体が財産になり得る。
現代自の日本進出は再挑戦だ。2001年から9年間、1万5000台が売れただけで撤退した経験がある。「ヨン様」ペ・ヨンジュンを広告モデルに起用したが反応は冷ややかだった。韓流を好むからといって、韓国車を買ってくれる消費者はいなかった。現代自の張在勲(チャン・ジェフン)社長は「再び原点に立ち戻り、真剣に顧客と向き合う」と述べた。現代自は米国市場でホンダを凌駕(りょうが)するほど技術力が発展した。EVであれ燃料電池車であれ、内燃機関車であれ、「天下一」という原点を執拗に追求すれば、「クルマの墓」日本でも生き残ることができるはずだ。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員