【コラム】ウクライナ侵攻を嘲弄するこの国の平和主義者たち(下)

 ある国を地図から完全になくさない限り、ある国民全体の夢を断ち切ることは不可能だ。プラハの春はチェコの全国民の夢だった。ドゥプチェクはその夢の実現を任された。ソ連は戦車でプラハを踏みにじったが、夢までは踏みにじれなかった。チェコは1989年の「ビロード革命」で彼らの念願を果たした。そうして21年前に流した血の補償を受けた。「ウクライナの春」を夢見る人々もウクライナの国民だ。ゼレンスキーが彼らを戦線に追いやったのではなく、ヨーロッパに入ることに国の未来があると信じる国民がロシアに立ち向かう道を選んだのだ。

 チェコスロバキアがソ連の衛星国から抜け出すためビロード革命を始めた時に掲げたモットーは「ヨーロッパへの復帰」だった。革命を主導した市民フォーラムはその理由を行動綱領に列挙した。法治・自由選挙・社会正義・清潔な環境・人民教育・繁栄がそれだ。どれ一つとってもソ連が与えることはできない価値だった。西ヨーロッパだけがそれを与えることができた。ポーランド・ハンガリー・ルーマニア国民もそう信じた。彼らにとって「ヨーロッパ」は地理的な意味ではなく、彼らが熱望する生活を込めた単語だった。ロシア人でさえ西ヨーロッパを訪れる時は「西に行く」と言わずに「ヨーロッパに行く」と言った。

 ビロード革命翌年の1990年5月、革命の成功を祝う「プラハの春音楽祭」が開かれた。40年余りにわたった亡命から帰ってきたチェコ出身の国際的指揮者ラファエル・クーベリックは興奮と感激で上気した顔でチェコ国民が最も愛するスメタナの管弦楽曲『わが祖国』を指揮した。見守ったヴァーツラフ・ハヴェル大統領と観客たちは熱い涙を流した。

 「平和のために戦争だけはダメだ」という主張は、屈従を拒否し真の自由と平和を勝ち取るために血を流しているウクライナに対する冒涜(ぼうとく)だ。ウクライナ国歌に「ウクライナの栄光は滅びず 自由も然(しか)り」という歌詞がある。いつかウクライナが完全なる解放を迎え、首都キーウの独立広場で祝賀音楽会が開かれるのを見たい。彼らが大きな声で歌う国歌を聞きたい。70年前、世界の助けを借りて自由を守り、彼らが流した血のおかげで繁栄を享受している国で暮らす人間として切に祈っている。

金泰勲(キム・テフン)論説委員

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