【コラム】「どうやって」を問い先進国に追いついた韓国、今こそ「なぜ」を問い源泉技術を生み出す時だ

尹政権、急場しのいだら青写真描き革新の道切り開け

優等生が率いてきた韓国、辺境で育てた創造的発想法を示さねば

 3月9日の大統領選挙から6月1日の地方選挙まで、長かった84日間にわたる選挙行軍が終わった。昨年10月10日に共に民主党、11月5日に国民の力がそれぞれ大統領選候補者を選出した時にさかのぼれば8カ月を超えるし、候補者選びの争いが熱を帯び始めた昨年初めからなら1年半もの間、選挙の中にいた。今後は2024年4月10日の総選挙まで選挙がない。尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が国家経営能力を見せる舞台が幕を開けた。韓国の政党の没落周期は大統領選挙敗北・地方選挙敗北・総選挙敗北、そして再び大統領選挙敗北へと1周しなければ完結しない。共に民主党は今後、敗北のサイクルをさらに回らなければならないのかもしれない。その可能性は高い。

 これまでの大統領たちは在任期間中、一日も心穏やかな日はなかったという。5年間そうして忙しく過ごしたある日、ふと立ち止まって振り返ってみれば、スタート地点で足踏みしている自分を見つけることになる。急場しのぎばかりで、重大なことは先送りしてきたからだ。国が歩んできた道と歩んでいく道を同時に見てはじめて歴史的展望が開かれる。

 韓国・ドイツ・日本の歴史には共通点がある。この3カ国は共に、かつて歴史の遅刻生だった。近代資本主義世界を作った産業革命から50年・100年・200年遅れた国だった。英国から始まった産業革命の起点を1760年代前後としよう。その時、ドイツは2000以上の領主が治める土地と自由都市がモザイク状になっている地域に過ぎなかった。1807年に侵略者ナポレオンが、遅れているこの地に近代的な道路をいくつか作った。日本近代化の出発点は1868年の明治維新である。当時の高給取り100人は全員、外国人の技術顧問だった。韓国は1960年代に世界経済に合流した。韓国の官僚や企業関係者たちが先進国の文物を学ぶと言ってフィリピンやパキスタンに見学に行った時のことだ。

 遅刻生3人の現在の経済成績表は日本2位、ドイツ3位、韓国8位だ。1949年以来、共産党一党独裁体制の中国を含めれば、順位が1位ずつ下がる。英国は遅刻生ドイツと日本にとって経済の先生だった。ドイツは英国から持ち込んだ製鉄技術を改革して鋼鉄時代の先頭走者になり、日本は英国製の紡織機で作った製品で英国の市場を奪った。韓国は日本とドイツを時に教科書、時に参考書として、遅まきながら勉強を始めた。少し誇張して言えば、そうした英国と韓国の間の経済格差は今やわずかになったといえよう。

姜天錫(カン・チョンソク)顧問
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