【萬物相】15代目まで続く沈寿官

【萬物相】15代目まで続く沈寿官

 ベルリンから始まったブランデンブルク公国は、17世紀の時点でも欧州のしがない辺境国だった。フリードリヒ・ウィルヘルムが政権を握ったことで転機が訪れた。富国強兵を夢見たフリードリヒ・ウィルヘルムの推進した政策とは、外国の人材を迎え入れることだった。ちょうどカトリック国のフランスが新教徒のユグノーを弾圧したことから、ユグノー手工業者の染色・繊維技術が欲しかったフリードリヒ・ウィルヘルムは、特別待遇を与えて彼らをドイツに迎えた。技術者の都市になったベルリンは、荒れ地の都市から繊維産業の中心地へと生まれ変わった。ブランデンブルク公国はその後、プロイセン王国へと成長し、ドイツ統一の偉業を達成した。

 この歴史の東洋版が、徳川幕府時代の九州の薩摩藩だ。薩摩藩主として壬辰(じんしん)倭乱(文禄の役)に加わった島津義弘は、明と朝鮮の文物に深い関心を持っていた。明からは医術を直接学び、朝鮮からは陶工を連れていった。丁酉(ていゆう)再乱(慶長の役)のとき、全羅北道南原で捕虜にした沈当吉(シム・タンギル)など陶工数百人を薩摩へ連行し、士族として高い待遇を与えた。朝鮮の服を着るよう配慮し、陶磁器を作らせた。

 その当時、1000度を超える高温で陶磁器を焼く技術は中国と朝鮮だけが持つものだった。その先端技術が、壬辰倭乱の際に日本の手に渡った。日本が壬辰倭乱を「焼き物戦争」と呼ぶ理由だ。その後は、自ら革新を繰り返した。朝鮮陶工の技術力に明の洗練されたデザイン、日本の伝統絵画を接ぎ木した。その中心に沈当吉の家門が存在した。沈当吉の12代孫に当たる沈寿官(1835-1906)は、陶磁器に微細な穴を開けて焼く「透かし彫り」の技法を創案した。その技術で1873年、オーストリア万国博覧会に190センチを超える巨大な花瓶1組を出品し、陶磁器愛にのめり込んでいた欧州の人々を魅了した。

 沈寿官は、こうして日本の陶磁器を完成させた。その業績をたたえるため13代目から彼の名を継承し、今では15代目に至っている。沈当吉の父親の廟(びょう)が京畿道金浦にあるという事実を最近知った15代沈寿官の大迫一輝さんが7月10日、金浦の墓参りをして祭祀(さいし)を執り行った。墓の土を日本へ持ち帰り、沈当吉の墓にもその土をまくという。

 薩摩は陶磁器を売って豊かになった。江戸の沖合に現れた米国の軍艦の威容に感銘を受け、今度は陶磁器ではなく軍艦の確保に乗り出した。最終的には明治維新の主力となり、日本を近代国家へと生まれ変わらせた。その間、朝鮮は日本の植民地となり、いわゆる「倭磁器」が逆輸入されて陶磁器の宗主国たる立場すら失った。技術者に対する待遇がつくり出した違いを示すのが、15代目まで続く沈寿官家門の歴史だ。

金泰勲(キム・テフン)論説委員

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