【コラム】「手本になる大人がいない」という韓国の子どもたち

若者世代が学ぶべき知識は今や両親の経験にない
世代間の理解深めるには大人がまず心を開き近づいていかなければ

 演歌歌手のファンクラブに加入した若い知人に「活動するのが本当に難しい」と打ち明けられた。高齢の会員の割合が高いファンサイトに、その歌手が人気になった要因を分析した文章を掲載したところ、「そんな無駄なことをする時間があったら新曲のストリーミングを少しでも増やせ」と批判されたそうだ。

 彼は「ここまで『老害』に見舞われるとは想像もしていなかった」と言った。「そんな時間があったら英単語の一つでも覚えなさい」というのと同じその言い方は、他人の日常に介入してコントロールしようとするごう慢な態度で、いわゆる「老害」を代表するような言い方だからだ。

 地域対立や理念対立に続きジェンダー対立問題が出始めているが、本当に深刻なのは世代間対立かもしれない。これは家庭や職場で解決できることではない。双方がそっぽを向いていれば、いくら年月が経ってもそのまま亀裂が残る。このほどニュース通信社「ニュース1」とソフトウエア開発企業「タパクロス」が調査したところ、社会関係ネットワークサービスなどから算出された今年1-3月期の韓国社会における世代間対立指数は、2018年に比べて5.2ポイント増えたことが分かったという。新型コロナウイルスの流行で家族が家の中で集う時間が増えたものの、かえって対立の溝が深まったということだ。

 ただ同じ国で生活しているだけで、もはや高齢者世代と若者世代では、使用語彙(ごい)はもちろん、考え方まで違ってしまっているようだ。しかし、朝、目を覚ましたら新しいデジタル用語が生まれているこの時代、若者世代が習うべき知識はもはや大人たちの経験や知恵の中にはない。「後進国時代の祖父母と開発途上国時代の両親が、先進国時代に生まれた子どもたちを育てる」という言葉もある。スマートフォンの使い方や新語の意味を聞くのは、だいたいが子どもたちではなく大人たちだ。目下・年下に尋ねることを恥と思わない「不恥下問」ではなく、目下・年下に尋ねないことが存在しないという「無不下問」の時代になったようだ。

 このような状況で、高齢者世代に残った権威と言えば、道徳性に基づく「模範」を示すことだ。それは、住んでいる地域が困難に見舞われるたび、厳しくしかったり、的確な故事を引用して地域の構成員たちを反省させたりする白髪のお年寄りの姿だ。だが、今の時代のどこにそのような「お年寄り」がいるだろうか? 地下鉄に乗ると、ほかに空いている席があるのに妊婦席に座ったり、イヤホンなしでアプリの動画をボリュームを上げて見たり、大声で携帯電話で話したりするのは、若者よりも高齢者の方がはるかに多いことを知っている。歴史家のアーノルド・トインビーは「世代間の誤解を減らすには、既成世代がまず自らをしかり、反省しなければならない」と言ったが、彼らの表情を見ていると、到底そう簡単には変わりそうにない。

 一方、「最近の子どもたち」「MZ世代」という言葉が飛び出した瞬間、評価が悪くなってしまいがちな若者たちはどうだろうか。彼らは「個人主義が過ぎる」と言われても不当な慣習に抵抗して声を上げ、「既存の体制に適応できていない」と批判されながらも公正でないことを放っておけず、「カネの無駄遣いだ」と後ろ指さされてもグローバルな文化体験を惜しまない。端境期に言われそうな「それでメシを食っていけるのか」とケチをつける行為が彼らを食べさせてくれるわけではない。

 コーエン兄弟が手がけた2007年の映画のタイトル『ノーカントリー』(原題: No Country for Old Men=老人のための国はない)はウィリアム・バトラー・イェイツの詩の1句から取ったもので、「高齢者の経験と知恵の通りに行かないこの世の中は予測不可能だ」という意味だ。しかし、世の中がもう変わっているのに、新しい世代を理解する意志も能力もなければ、光化門集会に若者たちがなかなか加わらないのと同じ結果を招く可能性がある。それならば、彼らが望む世の中は今後も若者世代によって実現されるのは難しく、ついには次のように言うことになるだろう。「老人が望む国はない」と。

ユ・ソクチェ記者

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