【コラム】韓国国民に向けて閉ざされた門

日本の植民地時代に途絶えた昌慶宮と宗廟
12年の工事を経て再びつながれるも
2カ所をつなぐ北神門は閉じられたまま
克日の象徴としてオープンし記念すべき

【コラム】韓国国民に向けて閉ざされた門

 昌徳宮と昌慶宮は、もともと東宮と呼ばれる一つの空間だった。朝鮮王室の祠堂(しどう)である宗廟(そうびょう)も、昌慶宮と塀一つを挟んでつながっていた。日帝時代(日本の植民地時代)に宗廟貫通道路(現栗谷路)が完成したことで真っ二つに割られたのを、呉世勲(オ・セフン)ソウル市長が復元工事に着手、7月に完成した。12年にわたって1000億ウォン(約100億円)もの税金が投入された。それだけの価値があるものだと思う。栗谷路を地下に配置し、その上に日本が取り壊した宗廟塀をよみがえらせた。北神門の復元は、この全ての過程の画竜点睛だ。この門を通過しなければ、昌慶宮と宗廟を行き来できないからだ。

 しかし、苦労して建て直したこの門は、今堅く閉ざされている。7月21日、「昌慶宮宗廟連結復元事業市民開放行事」の際に、しばらく開かれただけだ。市民たちはどう思っているのか、週末に現場を訪れてみた。そのほとんどが「昌慶宮と宗廟をつないでおいて、門を閉めるなんてあり得ない」といった反応だった。「復元の知らせを聞いて一山からやって来た」という夫婦は「全て観覧できるものと思い、昌慶宮でチケットを買って北神門の前まで来たが、宗廟に渡れないなんてだまされた気分」と話す。彼らと別れた後、宗廟に入ってみた。北神門の位置を知らせる案内図も一切見られなかった。北神門の前はあきれ返るほどだった。ドアにつながる抜け道はロープでふさがれ、立ち入ることができないようになっていた。「立ち入り禁止」という立て看板まで掲げられていた。

 昔の姿をよみがえらせたからといって、完全な復元というわけではない。本来の機能までよみがえらせてこそ、本物の復元だ。日本の京都にある二条城の床は、踏むときしむ音がする。刺客の侵入をいち早く察知するための設計だという。そこを訪れる観光客は目で見るだけではなく、床の上を歩きながら自分の耳で確認する。復元という言葉が意味を持つためには、このように体験できなければならない。

 昌慶宮は自由観覧だが、宗廟は時間制の観覧なので、北神門を通る連携観覧が不可能だというのが、文化財当局の説明だ。しかし、入場者数と回数を制限していた昌徳宮も、国民の要求に応じて自由観覧に切り替えた前例がある。今は昌徳宮に入ろうが、昌慶宮に入ろうが、咸陽門で追加観覧料さえ支払えば、二つの宮殿を自由に行き来できる。北神門がその前例に従えない理由は何なのか。宗廟も、週末には昌慶宮のように自由観覧制で運営されるため、週末開放から始めてみるのもいいだろう。

前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 【コラム】韓国国民に向けて閉ざされた門

right

あわせて読みたい