【コラム】安倍元首相国葬儀の伊藤博文

 東京の日本武道館で27日に執り行われた安倍晋三元首相の国葬儀で、岸田文雄首相の追悼の辞が終わった後に菅義偉前首相が友人代表として追悼の辞を読み上げた。涙をこらえる小学生のような声は震え、言葉にも詰まっているようだった。「7月8日、あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい」「あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。最後には、二人で、銀座の焼き鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました」「3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います」と当時を振り返った。NHKのカメラは安倍氏の妻の昭恵夫人が涙を流す様子を映し出した。

【写真】弔問使節団の団長・韓悳洙首相、岸田首相とあいさつ

 この日、東京の九段下には一般向けの献花台が設けられた。黒い喪服を着た20代の男性から着物姿の70代女性まで、手に白い菊の花を持つ人が4キロ以上の長い列を作った。雑談など一切聞こえない静かな行列だった。行列の途中にある公園では噴霧器が水をまき霧のように見えた。行列に並ぶ人たちは水を避けず菊の花をかざした。この日は2万3000人以上が献花を行った。

 安重根(アン・ジュングン)義士の銃撃で死亡した「伊藤博文」の名前が突然登場したのは菅前首相による追悼の辞が終わりに近づいた時だった。菅前首相は「山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌」「いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」とした上で「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」と詩を2回詠んだ。会場では異例の拍手が起こった。日本帝国陸軍創設者の山縣有朋は清日戦争と露日戦争を指揮した人物で、日本軍国主義の父とも呼ばれている。

 日本人が涙した2367字の追悼の辞と2万3000本以上の菊の花は、安倍元首相を失った日本の保守・強硬派が今後進む道を示すものではなかったか。

 ここ1-2カ月の間に東京を訪れた韓国の政治家や官僚たちは誰もが「日本は文在寅(ムン・ジェイン)前政権とは違った尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権に好意的だ」「Kポップファンの日本の若者たちを見ると何の心配もない」「問題は極めて少数の嫌韓勢力だけだ」などと語る。しかし日本の政治家は韓国ではなく日本国民に責任を持っている。韓日関係は韓国が日本と向かい合い、それぞれの利益を最大限に高めるため利害関係を突き付け合うものだ。日本の善意によって得られるプレゼントなどない。

 安倍元首相の口癖は「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ」だった。「戦争する正常国家論」という安倍元首相の信念は多くの日本国民の支持を受け、菅前首相ら政治家に引き継がれるだろう。朝鮮を強制併合した伊藤博文と山縣有朋だが、1909年と1922年に行われた彼らの葬儀はいずれも日本国民の深い哀悼の中で国葬として行われた。日本国民にとっては彼らも日本に尽くした政治家に他ならなかったのだ。

東京=成好哲(ソン・ホチョル)特派員

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