訃報:アントニオ猪木さん死去79歳=力道山の弟子、33回訪朝

現役引退後は国会議員に当選も

現役引退後は国会議員に当選も

 日本の「プロレス界のゴッドファーザー」アントニオ猪木=本名:猪木寛至=さんが1日午前、心不全のため死去したと共同通信などが報道した。79歳だった。

 猪木さんは1943年に神奈川県で生まれ、中学校の時にブラジルに移住した。1960年に遠征のためブラジルを訪れていた力道山=本名:金信洛〈キム・シンラク〉=の目にとまり、17歳だった同年、プロレス界にデビューした。猪木さんは金一=日本名:大木金太郎=(2006年死去)、ジャイアント馬場(1999年死去)と共に力道山の3大弟子だった。

 猪木さんのデビュー戦の相手が「頭突き王」金一だった。デビュー戦では敗れたが、その後、韓国と日本を行き来して、金一と何度も対決を繰り広げ、国民をテレビにくぎ付けにした。当時、猪木さんを知らない国民はいないほどだった。1972年に新日本プロレスを立ち上げた猪木さんは「コブラツイスト」という技でリングの上で怪力を見せた。1976年には当時プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと現在で言う異種格闘技戦を行い、世界的な話題を集めた。

 猪木さんは1988年に現役を引退、翌年スポーツ平和党を立ち上げて参議院選挙に出馬して当選した。1995年の選挙で落選して1998年には政界からの引退を宣言したが、2013年に政界に復帰して参院選で当選した。2019年に高齢を理由に再び引退した。

 猪木さんは現在の北朝鮮咸鏡南道洪原郡出身の師匠・力道山の遺志により、北朝鮮と日本の関係改善に努めた。1995年4月、北朝鮮で初めてプロレスイベントを行い、38万人を動員した。2013年には参議院議員としてスポーツ交流行事に出席するため訪朝し、当時の金永日(キム・ヨンイル)朝鮮労働党書記と会談するなど、2018年までに33回訪朝した。2000年12月には闘病中だった金一を見舞うため韓国を訪れたが、この時、京畿道城南市内の「ナヌムの家」も訪れ、日本軍慰安婦被害者の女性たちをいたわった。

 猪木さんは2020年7月、心機能が下がる難病「心アミロイドーシス」であることを公表、闘病の意志を明らかにしていたが、ついに帰らぬ人となった。

イ・ヨンビン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
あわせて読みたい