【朝鮮日報コラム】「従北・暴力的」労働運動の終末

【朝鮮日報コラム】「従北・暴力的」労働運動の終末

 1995年に設立された民労総(全国民主労働組合総連盟)が27年の歴史の中で行ったゼネスト・全面ストの数は40回近くに上る。年に2回以上ストを打つことも珍しくなかったというわけだ。だが今年のように、貨物連帯が投票でストを自主撤回し、民労総指導部もまた当初は14日と予告していた「第2次全面スト」の放棄宣言を行ったケースは、なかなか前例がない。事実上「白旗を掲げて投降」してきたのだ。ひとまず、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の掲げた「法と原則」が通った。より本質的には、民労総の矛盾した運動方式が腐りに腐り、民労総はそこにとらわれて自壊したのだと思う。

 「民主」という名を掲げた団体はまずは疑ってかかる、という人を大勢見た。独裁国家北朝鮮を擁護し、対話より拳を先行させ、自分の考えと違う反対派は無条件に「敵」と見なす反民主的な行いをためらわない組織が、どうして「民主団体」かというわけだ。その先鋒(せんぽう)に民労総がいる。「在韓米軍撤収」「THAAD(高高度防衛ミサイル)配備撤回」「李石基(イ・ソッキ)統合進歩党元議員釈放」は民労総の集会ではおなじみのスローガンだ。今年の光復節のデモでは、北朝鮮の労働者団体「朝鮮職業総同盟」が送ってきた「連帯の辞」を朗読して、その文章を民労総ホームページに掲載し、全国の米軍基地を回って「ヤンキー・ゴー・ホーム(Yankee go home.)」デモまで繰り広げた。時代錯誤的な「親北朝鮮・反米」が、彼らにとっては依然として金科玉条なのだ。

 北朝鮮の強制労働の実情は随分前から国際社会で知られている。労働環境は劣悪というレベルにとどまらず「北の住民の10人に1人は事実上の奴隷状態」だとする人権団体の報告書もある。民労総が、このように労働権・人権の消えた北朝鮮の悲惨な状況を知らないはずはない。韓国とは比較にならない北朝鮮の労働問題については口にもしないまま「米国と戦おう」と叫ぶ労組を、どうして民主労組と呼べるだろうか。

 対話と妥協を拒否したら、民主主義ではない。だが対話といえばまず嫌がる組織が民労総だ。民労総27年の歴史がそれを語ってくれる。2005年に穏健派執行部が労使政対話復帰を案件に上げると、会議場にシンナー・消火器をまき、器物を壊すなどの乱闘劇を繰り広げたかと思えば、翌年には競争団体の韓国労総の委員長を白昼、街頭で暴行し、韓国労総のビルに侵入して大騒ぎを起こすという一幕もあった。政府と対話を試みる民労総委員長が中途退陣してしまう事件も2回あった。その結果、1999年に労使政対話から自ら出て行った後、民労総はこれまで「社会的対話」とは縁を断ってきた。何かにつけて法より拳を優先する組織が、民主労働運動を旗印としているからといって民主的な労組になるわけではない。

 労働組合の生命は自主性だ。政府や使用者、労組外部の団体が労組の運営を妨害したり、不当に干渉したりすることから保護されなければならない。しかし、こうした労組自治主義は、どこまでも労組の民主性が前提となってこそ国民も納得する。独裁国家を擁護する労組、暴力的な労組、民主主義の原則を破る労組にまで労組自治を無限定に許容する国はない。民労総は労組自治主義、民主労組の正当性を既に随分前に失ってしまったと思う。

 街頭での衝突、政治闘争にのめりこむ民労総とは異なり、先進諸国の労組は対話と協力を追求する方向へと進んでいる。英国の労組は1980年代、日本は1990年代を起点として労働運動が衰退する中、政府・使用者を相手に実用的かつ柔軟な交渉戦略を展開している。ドイツは、1976年の「共同決定法」制定で労働者の経営参加を明文化するほどに労働者の発言権が強い。今年3月、テスラは共同決定法を避ける形でドイツに「ギガファクトリー」を稼働させ、団体交渉まで拒否したが、ドイツ金属労組は「見守りたい」とする立場だ。4万人の雇用が生まれる経済効果を優先しているのだ。こうした先進国労組の変身に韓国の民労総もついていく気があるのかどうか、気になる。

朴恩鎬(パク・ウンホ)企画部長

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