それで気になった。文政権の人々はどれほどの度胸で自分たちが断罪した犯罪行為を何のためらいもなく犯したのだろうか。李在明元城南市長は、一体何を信じて自分も汚れているのに前政権に拳を突き上げたのだろうか。
2008年の初め、李明博大統領の就任式直後、「10年前の大統領就任式の写真」と題したコラムを書いた。金大中(キム・デジュン)大統領の就任式の際、大統領周辺を取り囲んでいた実力者たちが5年後に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の就任式の際には「ノサモ」(盧武鉉支持者)から逆賊扱いされたり鉄格子に入ったりしたが、盧武鉉政権の実力者たちもやはり5年後には同様の境遇に陥ったという内容だった。それが5年ごとに繰り返されてきた権力の法則だ。にもかかわらず、新たに発足する政権は、自分たちだけは永遠かのような錯覚に陥る。
文政権の人々は錯覚の度合いが特に激しかった。民主党代表は政権2年目に20年政権担当論を打ち出し、数カ月後には「5年任期の大統領を10人連続で輩出しなければならない」という50年政権維持論を主張。年が変わると「韓半島平和の100年を展開する」と語った。10年単位で政権が交代してきたサイクルを破り、永久の政権体制を整えるという宣言だった。少なくとも当分は政権が相手に渡らないと確信していたようだ。それを信じて大統領と周辺は露骨に犯罪を犯し、到底隠しきれない疑惑を持つ人物が大統領の座を目指した。
文政権は自らを「ろうそく革命の産物」と呼んだ。歴代政権の後を継いだのではなく、新しい天下が開かれたという意味だ。そのため、あえて手のつけられない神聖な存在かのように監視とけん制を拒否した。政権の不正を暴くことができないように検察と監査院を脅した。その結果、20年、50年、100年はおろか、5年で政権を相手に譲った。民主化が実現した「1987年体制」で初めてのことだ。政権にとっては恥辱だ。ろうそくは革命ではなく、5年で消えた「不良権力」にすぎなかった。傲慢に陥った権力には必ず問題が生じ、国民の審判を受けることになる。その平凡な道理を悟らせた2022年は暮れゆこうとしている。(本紙では2022年12月29日掲載)
金昌均(キム・チャンギュン)論説主幹