「北の気をくじかなければまたやられる」…帰ってきた金寛鎮【萬物相】 

「北の気をくじかなければまたやられる」…帰ってきた金寛鎮【萬物相】 

 国から召命を受けて戻ってきた軍人は多い。古代ローマの名将ガイウス・マリウスはローマ軍の改革やゲルマン民族撃退の功績が認められ「第3の建国者」と呼ばれた。引退後に同盟都市の反乱が起こった際、彼は将軍として復帰し反乱を鎮圧した。李舜臣(イ・スンシン)将軍も不当な形で免職されたが、白衣従軍(一兵卒)の形で軍に復帰し、後に鳴梁海戦で大勝する立役者となった。

【写真】板門店で北朝鮮側と代表と握手を交わす金寛鎮国家安保室長(2015年8月22日)

 かつて米海兵隊の大隊長を務めたマティス元国防長官は湾岸戦争やアフガニスタン戦争、イラク戦争で大きな功績を挙げた。「相手の息の根を止める準備をせよ」と指示するその強いリーダーシップを部下たちは固く信頼し従った。自らを「海兵隊と結婚した」と語った。マティス氏は除隊から4年後に国防長官として復帰した際、議会は「除隊から7年経過が必要」の例外を認めた。マティス氏はトランプ前大統領に直言した唯一の長官だった。

 金寛鎮(キム・グァンジン)元韓国国防部(省に相当)長官は生涯を野戦の硬骨軍人として生きてきた。北朝鮮による延坪島砲撃挑発当時、除隊したばかりの彼を当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が呼んだ。「北朝鮮に対抗してソウルに砲弾が落ちたらどうするか」との大統領の質問に金氏は「不安に打ち勝ち確実に対処すれば挑発などできない」と答えた。国防部長官に就任した金氏は延坪島で大規模訓練を行った。米国防総省は「危険だからやめろ」と要求したが、金氏は「北朝鮮の気を折らなければまたやられる」と言って強行した。訓練ではミサイルを搭載した戦闘機も出撃させた。北朝鮮による地雷挑発を受けた際には休戦ラインを越えて29発を撃ち込んだ。北朝鮮は初めて挑発を認め謝罪した。ワシントンでは「金寛鎮効果」と言われた。

 金氏の国防長官としての第1の所信は李舜臣将軍の「敵を壊滅させられれば今死んでも思い残すことはない」だった。「北朝鮮が挑発してくれば10倍報復し、敵の指揮系統と原点を攻撃せよ」と指示した。執務室に金正恩(キム・ジョンウン)委員長と北朝鮮軍トップらの写真を掛け「毎日敵将の考えを読み取った」とも語った。「敵にこちらが休む様子を見せるわけにはいかない」として週末にも職務に当たった。敵について語るときは目から火花が散ることから「レーザー・キム」と呼ばれた。彼を恐れた北朝鮮は「殺害する」と脅迫しその写真を射撃訓練の標的とした。

 ところが文在寅(ムン・ジェイン)政権発足後、サイバー司令部によるネット書き込み事件で捜査を受け、身柄を拘束された。その裁判は6年にわたり続いている。それでも「部下たちに過ちはない。私が負っていく」と語った。法廷はかつての戦友や部下、友人たちで常にいっぱいになった。弁護士費用も1億3000万ウォン(約1300万円)が集まった。彼が国防改革を進める国防革新委員会の副委員長に指名されることになった。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は彼が身柄を拘束された当時ソウル中央地検長だったが「必ず来てもらえ」と指示したという。二人は11日に初めて顔を合わせる。「金寛鎮が戻ってきた」という事実だけで安心する人も多いだろう。

ペ・サンギュ論説委員

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