「韓国的」という単語は再び恥ずかしい言葉になるのか【コラム】

300万ウォンの現金封筒が食事代という民主党、50年前の町役場にも及ばない
革命しか代案がないとすれば不幸、革命も不可能ならばより不幸

 国家のイメージの変化は個人のイメージの変化と同じような曲線を描く。活気に満ちてうまくいっている時は全てが長所のように輝いて見える。そのうち勢いが衰えると今度は長所が小さくなり、短所が拡大して目の前に迫ってくるようになる。Kポップ、Kシネマ、Kドラマ、Kクラシックなどが世界舞台で華やかな照明を浴び始めると、韓国の短所さえもまるで長所であるかのように皆が熱狂した。無法と無秩序を活気として、無礼を親近感として、基礎固めをスキップする「適当に」や「おおまかに」を韓国式のスピード感として、それぞれ賞賛してくる外国人のリップサービスに、肩をすくめるのを多々見受ける。

 大文字「K」は「韓国的」という単語に入れ替えることができる。実際、「韓国的」という単語は長い間「不明瞭」「恥ずかしい」「隠したい」という現象を示す言葉だった。「韓国的民主主義」は独裁を、「韓国的市場経済」は政治と企業が結託した賤民資本主義を、「韓国的時間観念」は約束時間を守らないことを「たいしたことではない」と考えるコリアン・タイム(Korean time)を、それぞれ意味する言葉だった。政治的イベントや各種官庁における苦情処理の過程で、食事代や餅代といった名目の下、現金封筒をポケットに忍ばすのも、「韓国的慣行」と見なされた。

 現在、韓国の区庁や町役場の請願書類の発給は、世界で最もスピーディーで透明だ。その上、田舎の高校の卒業証明書までも発給できる。IT機器の広範囲における普及がスピードを世界最高水準にまで引き上げた。では、その現場で交わされる現金封筒はいつどのようにしてなくなり、透明性を確保するようになったのか。不正を摘発する検事や警察、監査院の人員を何倍にも増やしたことによる成果なのか。

 天地開闢(かいびゃく)は、1960年代半ばに始まった経済発展の結実とともに訪れた。この部分では、経済という下部構造が意識と行動という上部構造を決定するというマルクスによる指摘は正しかった。経済発展により、公務員が安定した中産階級での生活を送ることができるだけの給与を受け取るようになると、行き交う現金封筒の数は減った。退職者のための公務員年金制度が整備され、現金封筒の誘惑に負けて老後を台無しにしてしまうケースは急減した。「韓国的」という単語に付いて回った100年前の不名誉は、こうして清算されていった。フィギュアスケートでキム・ヨナが見せた跳躍よりも奇跡的な跳躍だった。

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  • ▲写真=宋永吉(ソン・ヨンギル)元代表/NEWSIS

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