「日本球界のレジェンド」張本勲さんの曲がった指【萬物相】

「日本球界のレジェンド」張本勲さんの曲がった指【萬物相】

 「日本球界のレジェンド」張本勲さん=韓国名:張勲(チャン・フン、82)=はもともと右利きだった。左利きになったのは、4歳の時に負ったやけどのためだ。貧しい在日韓国人の2男2女の末っ子として生まれた張本さんは、真冬にたき火でサツマイモを焼いて食べようとした時、トラックがバックしてきてぶつかってしまい、倒れた拍子に火の中に右手をつき、薬指と小指が癒着してしまった。親指と人さし指もひどく曲がっている。母親の朴順分(パク・スンブン)さんが張本さんを背負ってあちこち走り回ったが、無駄だった。張本さんは「右手では小さな板切れ一つしか持てないほどだった」と言った。

 打者がスイングする時は両手でバットをしっかり握って振り、最後まで伸ばして振り切らなければならない。張本さんの右手の力はほかの選手たちよりも格段に落ちる。それでも23年間で2752試合に出場し、通算打率3割1分9厘、3085安打、首位打者7回という大記録を残した。空前絶後だ。同じく日本球界で活躍した白仁天(ペク・インチョン)元ロッテ・ジャイアンツ監督は「あんな手であのような記録を出せる人は絶対いない」「午前1時にパンツ一丁で練習するのを見たこともある」と語った。

 張本さんがそれほどまでに血のにじむ練習をしたのは、母親のためだという。「成功して母に絹のチョゴリ(韓服)を買ってあげる、お金をたくさんあげると誓った」。それほどまでに愛する母親からひどくしかられたこともある。日本プロ野球の球団に入団する時、日本国籍に変えようとした。すると母親が「祖国を売ろうというのか。 今すぐ野球をやめなさい」と言った。張本さんは「その時ほど母親が怒ったことはなかった」と話した。張本さんは国籍を変更せずに入団し、契約金200万円を新聞紙に包んで、すべて母親に渡した。

 日本特派員時代、張本さんを何度か見かけたことがある。日本の番組に出演した後、韓国人の多い飲食店や飲み屋で人々に囲まれていた。80代という年齢にもかかわらず、いつも堂々としている「韓国の男」の姿は見るだけでも気分が良かった。韓国メディアとのインタビューでは「国籍は紙1枚で変えられるが、民族の血は変えられない」と話していた。

 いつも笑顔の張本さんが本紙とのインタビューで、広島原爆投下時に長姉を亡くしたことを語り、涙をこぼした。韓日両国の指導者が韓国人原爆犠牲者慰霊碑を一緒に訪問すると決めたことについて、「感謝する」と言った。日本の岸田文雄首相が徴用被害者に対して「心が痛む」と言ったことについて、「『謝罪する』という言葉は使わなかったが、(在日韓国人の)私には理解できる」とも言った。広島の被爆者である張本さんの涙は、韓日関係が揺れ動くたびに息をひそめていなければならない在日韓国人たちの苦しみを象徴しているかのようだ。年老いた英雄が再び涙を流すようなことはあってほしくない。

李河遠(イ・ハウォン)論説委員

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