現代自動車「ポニー」の帰還、状態さえ良ければ1億ウォン台で取引【萬物相】

 1970年代、現代自動車が組み立て販売したフォード「コティナ」は、度重なる故障でクレームが多かった。米フォード側は「舗装道路以外では走らせるな」という荒唐無稽な返答を繰り返した。フォードのあらゆるパワハラに頭を悩ませた故・鄭周永(チョン・ジュヨン)会長は、独自モデルの開発を決心する。日本の三菱自動車のプラットフォームとエンジンを使用し、外形は固有デザインを採用することにした。鄭会長がイタリアの30代の新鋭デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロに120万ドル(約1億6800万円)で初の固有モデル「ポニー」のデザインを依頼した。

【写真】現代モータースタジオで公開されている現代自ポニー

 鄭会長は、ジウジアーロが手掛けたポニーのデザインを見て「串刺しチキンのようだ」と言い、あまり気に入らなかった。しかし、直線的なスタイルが当時の自動車デザインの新しいトレンドであったほか、プレス金型の難易度を下げるという利点もあって、デザインを受け入れた。ポニー生産のための完成車生産ラインの構築と約430社に上る部品メーカーの発掘は、現代自を自動車組み立て工場から完成車メーカーへと生みかえた。

 1975年当時、ポニー1台の値段は228万ウォン(約24万円)と、ソウルのマンション価格の50%に相当する高価なものだったが、飛ぶように売れた。1976年だけで1万726台が売れ、韓国国内の自動車市場の実に44%を占めた。ポニーピックアップ、ワゴン、ポニー2などの後続モデルが相次いで発売され、1982年には累積販売台数が30万台を突破した。1976年にはエクアドルへの5台を皮切りに、世界約60カ国に向け輸出された。

 ポニーは1970-80年代の大韓民国の社会像を物語る文化的アイコンでもある。1980年の光州抗争を扱った映画『光州5・18(原題:華麗なる休暇)』では、エジプトから逆輸入したポニーが小道具として使われた。その時代を懐かしんで今もポニーを愛用する人々がいる。会員数1500人に上る同好会「ポニーに乗る人々」は、自動車部品を手に入れるため廃車場を巡り、それでも手に入らない場合は3Dプリンティングで部品を作って使用することもあるという。保管状態の良いポニーは1億ウォン台(約1000万円台)で取り引きされるという。

 現代自がポニーの歴史をつづる「ポニーの時間」という展示会を開催している。現代自の鄭義宣(チョン・ウィソン)会長は「ポニーという独自モデルを開発しながら蓄積した精神的、経験的資産が今日の現代自動車を形作った」と述べた。現代自のポニー召喚イベントは、グローバル自動車メーカーという地位に比べると物足りない「歴史」や「ストーリー」を補うためのものである。ドイツ・シュツットガルトのベンツ博物館や日本名古屋市のトヨタ博物館など、世界的な自動車都市には自動車博物館が存在するが、蔚山には現代自の博物館がない。韓国自動車産業の歴史に思いをはせ、ポニーのチャレンジ精神をほうふつとさせる博物館が、一つくらいはあってもいいものだ。

金洪秀(キム・ホンス)論説委員

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  • ▲イラスト=ヤン・ジンギョン
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