父のおかげ「アッパ・チャンス」、韓国と日本では何が違うのか(下)【寄稿】

両国で論議を呼んだ「アッパ・チャンス」
撲滅しなければならない重要な理由とは

 韓国の「アッパ・チャンス」は日本に比べると、より陰湿でずる賢く行われる。「この子がうちの子です」と同じ組織構成員たちにも知らせない。その一方で、人事に影響力を行使できる人々に直接・間接的に内密に頼む。力のある人物の息子、娘の場合、配下の組織員が気を利かせて取り込んだりもする。万が一発覚しても「私は存じておりません」と言い放つ。全ては集団意思決定の結果に過ぎないため、規定を破った覚えはないと反論する。

 事実、公職人事採用や補職を巡り、「アッパ・チャンス」が国民的怒りを招いたのは何も今回が初めてのことではない。忘れた人も多いだろうが、2010年の外交部(日本の省庁に相当)特別採用問題で国が大きく揺れた。当時、前・現職の高位外交官の子どもたちが採用、補職、研修などで不当な特恵を受けたという疑惑が、調査の結果ほぼ事実であることが明らかになったのだ。しかし、その後の結果はどうだっただろうか。

 事件の発端となった長官は、辞任しただけで処罰を受けず、人事担当者の数人だけが懲戒を受けただけで、ほとんどの関係者が集団意思決定を盾にポストを守り抜いた。金品が行き来したわけでもないとのことから、これ以上の捜査も刑事処罰も与えられなかった。「アッパ・チャンス」再発を防ぐための人事委員会の開放など、これといった制度改革や予防のための特別な立法措置も検討されなかった。こうした状況では、どこかで尻尾でもつかまれようものなら、また問題が明るみに出るのではないか。今回はそれがたまたま選管だっただけで、このまま放置すればまたどこで爆発するか分からない。

 現在、韓国政府と与党は選管に対する度重なる怨念のためか、選管に対する猛攻撃に余念がない。しかし、この問題は選管が監査院の監査対象かどうか、などという低いレベルの問題ではない。

 尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権のキャッチフレーズは何だったのか。自由と公正ではなかったか。もともと保守勢力の思想的基盤である自由主義は、自由競争の結果を肯定する思想だ。だが、競争は常に「機会の平等」に基づいた「公正」な競争でなければならない。「公正」のない「自由」は結局競争が生む偏向した結果を固定化させ、「自由」そのものまでも実現不可能としてしまうためだ。

 13年前の外交部人事問題の時のように、結局関係者数人を懲戒するレベルでとどまってしまってはならない。「アッパ・チャンス」を排除できる根本的な代案を模索しなければならない。「アッパ・チャンス」は「公正」に対する挑戦であり、ひいては「自由」に対する侵害だからだ。根本的代案を提示することができなければ、「自由と公正」は結局冷笑の対象として転落してしまうだろう。

チャン・ブスン関西外国語大学教授

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